しらなかった「危険なジェーン」とよばれても

「危険なジェーン」とよばれても



こんな有名な女性を知りませんでした。

図書館で偶然見つけた絵本、題名から女性参政権運動の人と思ったら違いました。

 

 

 

身体が弱かったジェーンは、社会的弱者のためにハルハウスを開設。女性の救援や平和運動に生涯を捧げノーベル平和賞を受賞

 

ジェーン・アダムス(アメリカ、1860- 1935年)は、アメリカ合衆国の社会事業家・平和運動家・女性運動家であり、ソーシャルワークの先駆者。幼少時から身体が弱く、神経症を患っていたが、ロンドンで見たセツルメント運動の先駆けであるトインビーホールを見学し、アメリカでのセツルメント開設を決意。シカゴのスラム街に、当時世界最大規模の貧困者のための社会福祉センターともいえるハルハウスを設立しました。その後、女性の救援や平和主義の運動でも強力なリーダーシップを発揮。1931年には米国人女性として初めてノーベル平和賞を受賞。今まで大きく取り上げられることがなかった、しかし確かに大きな功績を残していた女性たちを取り上げた、新しい伝記絵本のシリーズ。

 

日本で生協を作った賀川豊彦と交流がありました。

賀川の映画を見たのは何年も前です。

 

ジェーンは幼いときに貧しい人を見て胸が苦しくなり、助けたいと思いました。

「大人になったら、大きな家を買って困っている人たちと暮らそう」と心に誓いました。

 

結婚するのが当たり前の時代に彼女は大学を出てイギリスやフランスに行きました。

 

ロンドンのトインビーホールを知りました。

そこは貧しい人々が助け合って暮らす施設でした。

 

ハルハウスを作り毎日18時間働きました。

 

保育園、英語教室を作り仕事の紹介もしました。

一番大切にしたのは一人一人と友達となりそれぞれの夢がもてるように、はげますことでした。

 

第一次世界大戦が起きたときは「平和を願う女性の会」を作り戦争を止める方法を探し始めました。

「国際女性会議」には勇気あるリーダーが必要となり彼女が選ばれました。

 

12ヵ国1500人の女性と出会いました。

 

「平和への20の決意」をまとめ各国の首相や大統領、ローマ法王に伝えました。

 

戦争で荒れ果てた国に行き病院へ子供たちを訪ねおなかをすかせた家族には食べ物を配りました。

これが敵国の奴らを助けるなんてと非難されることになりました。

 

FBIはなんとジェーンを

「アメリカで一番危険な女性」とよんだのです。

いったいどうしたら良いのでしょうか。

 

続きは読んでください。

偉業を成し遂げたのにあまり知られていない人物は少なくないでしょう。

 

 

 

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