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田中正造の手紙発見




 10月の台風19号で浸水被害に遭った栃木県佐野市田島町の旧家から、足尾銅山の鉱毒を告発して被害者の救済に奔走した佐野市出身の政治家・田中正造(1841~1913年)のはがきが偶然見つかった。家人の島田和枝さん(51)は「自然環境を侮ってはいけないという警鐘に聞こえます」と受け止めている。 (梅村武史、写真も)

 江戸時代前期の一六七三年創業で県内最古の酒蔵「第一酒造」の本家筋に当たる島田さんの本宅は被害を免れたものの、庭の物置が床上浸水し、中にあったたんすも水没した。廃棄するため、施錠された引き出しを壊したところ、写真や書、領収書、地図など三百点以上の古い書類とともに、桐(きり)箱に納められた正造のはがき一葉が見つかった。

 一八九四(明治二十七)年十月三十一日の消印で島田家の四代前の当主、島田智二(ともじ)さんに宛てたもので、正造が筆記した文面を「こんにゃく版印刷」と呼ばれる技法で印刷してある。

 「昨夜広島より帰京仕候」などと書かれ、国会議員だった正造が広島県で開催された帝国議会から東京に戻ったこと、議会で軍事予算案一億五千万円が満場一致で可決されたことを知らせる内容で、地元支援者に送った活動報告書とみられる。

 同じはがきはこれまでも見つかっており、正造に関する史料を収蔵する佐野市郷土博物館の山口明良館長(59)は「国会議員になってわずか四年の正造が、地元支援者との関係を大切にしていたことが改めて裏付けられた」と分析する。

写真

 後に反戦に転じる正造だが、日清戦争(一八九四~九五年)当時は戦争を支持し、鉱毒被害の追及を自粛していた。正造の思想を今に生かす活動に取り組む市民団体「田中正造大学」の坂原辰男事務局長(67)は「戦争が一段落すれば鉱毒問題解決に向け、世の中が動きだすと当時の正造は信じていた」と指摘している。

 和枝さんが島田家に嫁入りしたのは一九九七年。既にたんすは物置に放置され、引き出しの鍵も紛失していた。「開かずのたんすが台風によって開いた。正造からのメッセージかもしれませんね」

<田中正造> 1841年、下野国小中村(現栃木県佐野市)生まれ。栃木県足尾町(現日光市)の足尾銅山から渡良瀬川に流れ込んだ鉱毒が下流域を汚染し、農業や漁業に大きな被害を与えた問題を帝国議会で糾弾した。1901年には明治天皇に直訴を試みるなど解決に尽くした。13年、志半ばで71歳で死去。

昔、足尾鉱毒事件フィールドワークに参加

田中正造に「権力は嘘をつく」と教えられました。

足尾鉱毒事件と闘った田中正造、

原発事故と闘う人々にも

尊敬されています。

【足尾銅山鉱毒事件とは】簡単にわかりやすく解説!!原因や影響・対策・現在について


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