ばら満開のロダン美術館

 

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朝日夕刊のシリーズ「毒に愛嬌あり」は宮武外骨他反骨のジャーナリストや軍国の母が紹介されていて興味深いです。
オルセーの続編の前にばらをご覧ください。


初めての海外旅行はギリシャがメインのツアーでパリはたった二泊でした。
ツアーで一緒だった自衛隊員の方がナポレオンの墓のあるアンヴァリッドに行くとおしゃったのが印象的でした。
私たちはベルサイユ、ルーブル、バスティーユでした。

これはロダン美術館からのぞむアンヴォアリッドのドーム。
本来はルイ14世が傷病兵を収容させるために建てられたもの。




この日は早くホテルを出過ぎて、オランジュリーもオープンまでに時間がありすぎるので初めてのロダン美術館へ。

近くのカフェでトマトどっさりのサラダを食べた話は前にしました。




彫刻と言えばロダンですが大人になってから映画などでカミーユクローデルの悲しい存在を知りました。


  
  



























ばらがメインで有名な彫刻がおろそかになってますね。

邸宅内のロダンの作品やゴッホの絵は次回。

この建物の最初の主は何とかつらやさん。18世紀の事。
(地球の歩き方97~98年版にあるのですが本当?)その後、ビロン元帥の手に渡った。


H:オテル・ビロン h??tel Biron

パリ市内のヴァレンヌ街77番地にあるオテル・ビロンは、ロダン晩年のアトリエ兼住居であり、現在ロダン美術館となっている建物の呼称である。1730年に建設されたロカイユ様式の美しい建物で、ルイ15世の元帥ビロン公爵に名前の由来がある。ロダンはパリ郊外のムードンに住み続けながら、リルケの勧めに従って、ここに居を構えた。この建物は、19世紀の初めにはイエズス聖心会の修道院と寄宿学校だったが、ロダンが入居した頃には、リルケのほか、コクトーやマティス、舞踊家イサドラ・ダンカンら芸術家が利用するアパルトマンになっていた19世紀に国有になり、芸術家のために解放されました。


美術館の建物は1908年から亡くなるまでの10年間、ロダンがアトリエとして使い、そして暮らした「ビロン邸」(Hotel Biron)である。

1911年にフランス政府がビロン邸を買い取ることとなったときに、この館を気に入っていたロダンが、自己の作品及びコレクションを国家に寄付するので、美術館として残して欲しいと提案した。ロダンの死後の1919年に開館した。



彫刻と言えばロダン。19世紀を代表する彫刻家、フランソワ・オーギュスト・ロダンの美術館はパリで見逃せない美術館のひとつです。数年前のリニューアルで生まれたガラス張りのモダンなエントランスが18世紀の貴族の館と美しいコントラストをなしています。
「考える人」「地獄の門」「カレーの市民」「接吻」など世界的に有名なロダンの作品はもちろんですが、弟子で恋人でもあったカミーユ・クローデルの作品にも注目したいところ。
彫刻家として以外のロダンの才能を垣間見ることができるのもこの美術館の魅力で、彼の絵画や版画、素描を見るにつけ、そのマルチな才能に驚かされます。さらに、芸術作品の収集家でもあったロダン。背景に日本の浮世絵が描かれていることで有名なゴッホの「タンギー爺さん」をはじめ、モネやルノワールの作品を見ることができるのも嬉しい驚きです。
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