三笠宮さま ご逝去 昭和天皇の弟で100歳

学生時代に三笠宮の歴史の本を読みました。
歴史学者であるので戦争責任を考えておられたでしょう。
「今もなお、良心のかしゃくにたえないのは、戦争の罪悪性を十分に認識していなかったことです」


三笠宮さまは、軍人として太平洋戦争を経験し、戦後は歴史研究に力を尽くされました。三笠宮さまは、大正4年、大正天皇の四男として誕生されました。昭和天皇の弟にあたられます。戦時中は、陸軍の参謀として中国の南京に赴任したほか、大本営の参謀なども務められました。のちに、著書の中で、「今もなお、良心のかしゃくにたえないのは、戦争の罪悪性を十分に認識していなかったことです」などと述べられています。

戦後は歴史研究者の道を選ばれました。東京大学の研究生として中東の古代史を専攻し、長年にわたって東京芸術大学などで教べんを執られました。電車で大学に通われるなど、気さくな人柄で親しまれました。日本レクリエーション協会の総裁を務め、スポーツやレクリエーションの発展にも力を尽くされました。また、研究をきっかけにトルコの人たちと交流を深めるなど、国際親善にも努められました。

5人のお子さまが誕生しましたが、三男の高円宮さま、長男の※寛仁さまに続き、おととし6月には次男の桂宮さまが亡くなられ、3人の男のお子さま全員をなくされました。去年12月に100歳になり、ことしの新年一般参賀でも元気な姿を見せられていました。

(※「寛」は、右はねに点)

追記
「偽りを述べる者が愛国者として讃えられ、真実を語る者が売国奴とののしられた世の中を、私は体験してきた。

戦時中に日本軍参謀として中国南京への駐在を経験された。

戦後、皇族の立場から「聖戦』の実情を批判的に回顧して大きな反響を呼んだ。

紀元節復活も反対。

南京では現地将校を前に「略奪暴行を行いながら何の皇軍か」

「罪もない中国の人民に対し犯した忌まわしい暴虐の数々はいまさらここにあげるまでもない」

「内実が正義の戦いでなかったからこそ一層表面的には聖戦を強調せざるを得なかったのではないか。」

紀元節復活の動きには歴史学者の会合で
「反対運動を展開してはどうか。」

「日本のあけぼの」では
「こんな動きは又戦争につながるのではないだろうか」

「中国の人に謝罪したい」

同感です。

名古屋でフォークダンスも踊られました。
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