ブルーノ・タウトの熱海の家旧日向邸






昨日の記事、ブルーノ・タウトのインテリアの邸宅の画像や説明を載せたのにUPすると消えたり画像が最初に出てしまったりと、変なことばかりおきました。

急な階段下りて右側がその重要文化財の旧日向邸です。左のフェレンツェのオレンジ色の屋根のような家はなんと解体中でした。
まだ古くもないのに、もったいない!




ここは熱海駅から遠くはないのですが急な坂道や迷路のような道なのでタクシーで行かなければなりませんでした。

見学も土日のみの予約制、「熱海の温泉を探して」という友人の頼みで検索しているうちにタウトが手がけた家が熱海にあることを知りました。

タウトが絶賛した桂離宮へのオマージュをささげた家です。







Wikiによると

ブルーノ・タウト(Bruno Julius Florian Taut、1880年5月4日-1938年12月24日)は、ドイツの東プロイセン・ケーニヒスベルク生まれの建築家、都市計画家。鉄のモニュメント(1910年)、ガラスの家(1914年)が評価され、表現主義の建築家として知られる。

ジャポニスム、アール・ヌーヴォーを通して日本に関心をもち、晩年来日し長期滞在した。

1924年から携わったブリッツのジードルンク(住宅団地)で国際的な評価を受けた。当時、第1次世界大戦で敗戦国として製品を作ることで賠償金を支払っていたドイツでは、労働者が劣悪な環境下で働いており、ベルリンの労働者住宅は監獄のようであった。住宅供給公社ゲハークに就職したタウトは、主任建築家として労働者の健康を考慮した集合住宅に注力し、1924年から1931年の8年間で12000軒の住宅建築に関わった。1930年、ベルリンにあるシャルロッテンブルク工科大学(現:ベルリン工科大学)の教授に就任。




革命への憧れをもっていたタウトは、1932年から1933年までソ連で活動するが、建築界の硬直性に直面し、結局ドイツに帰国する。ところが、その直前にドイツではナチスが政権を掌握。親ソ連派の「文化ボルシェヴィキ主義者」という烙印を押されたタウトは職と地位を奪われ、ドイツに戻ってわずか二週間後にスイスに移動、その後日本インターナショナル建築会からの招待を機に1933年5月、日本を訪れ、そのまま亡命した。

来日当初は京都大丸当主の下村正太郎邸に滞在し、まもなく仙台の商工省工芸指導所(現在の産業技術総合研究所の前身の1つ)に着任。その後は井上房一郎の招きにより、高崎に移り、約2年間を高崎で過ごした。群馬県工業試験場高崎分場に着任し、家具、竹、和紙、漆器など日本の素材を生かし、モダンな作品を発表。1935年に東京・銀座に開店した「ミラテス」で販売を始めた。また東京・日本橋の丸善本店および大阪の大丸にて「ブルーノ・タウト氏指導小工芸品展覧会」を開催した。日本では建築方面の仕事に、余り恵まれなかったことを少なからず不満に思っていたが、その一方で建築理論の構築に勤しみ、桂離宮を評価した著書を著したり、熱海の日向利兵衛別邸でインテリアデザインを行った。

邸宅に入ると飾り気のない庭から海だけが見下ろせます。築地が低いのです。





地下の部屋には竹をあちこちに使用したり裸電球を連ねたり、タウトのデザインした椅子やテーブルもあります。

続く和室には大きな階段があり熱海の海を見るには絶好の場所です。

バッハ、ヴェートーベン、モーツアルトになぞらえる部屋。

それぞれこった作り。桐を使用したり壁紙は絹。

ところが、熱海市は温泉や芸者、花火にしか興味がなく資金不足で照明もつきません。

修理、掃除などで傷もついたりしています。

タウトが滞在した当時も焼餅焼きの建築家たちはタウトに建築の仕事をさせませんでした。恥ずかしいことです。

だからタウトの手がけた家はここしかありません。

数多くの建築を残したヴォーリズとは大違いですね。

だから竹のスタンドや椅子、机などのデザインをしていたのです。

死後も、ドイツから逃げてきたというので高崎・洗心亭の彼の石碑には石をぶつけた後が残っています。嘆かわしいことです。

高崎・洗心亭はタウトが二年間住んだところです。

お上にたてつかず少数者に厳しい。日ごろの不満をこんなところにぶつけるのでしょう。

1936年に近代化を目指していたトルコのイスタンブル芸術アカデミーからの招請により、教授としてイスタンブルに移住。アンカラ大学文学部など教育機関の設計、そしてイスタンブル郊外の自宅など、日本で温めていた理論を実践すべく精力的に建築設計で活躍した(そのほとんどは現存している)。1938年に長年患っていた気管支喘息のため死去した。最後の仕事は彼自身の死の直前に死去した大統領ケマル・アタテュルクの祭壇だった。タウトの遺体はエディルネ門墓地に葬られた[1]。

タウトのガラスの積み木、とても綺麗でほしいくらいです。

BSの天海さんのオルセー美術館の番組も昔のドレス、帽子、日傘ファッションが面白いのですがガレなどの工芸品は出てきていません。

絵画部門は満員の見学者なのにガラス・家具部門はガラガラ。だから関連本も少ない。

この時代女性画家は外でスケッチすることもはばかられ、髪も見せてはいけないので帽子をかぶっていたのだそうです!

追記
旧日向邸の記事と写真MYCAさん
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