富士山がベランダから見える伊豆畑毛温泉 大仙家


 
7月10日にクレマチスの丘に行き、一泊したのが伊豆畑毛温泉です。
ベランダから見る富士山
夜には富士登山する方のあかりが見えました。
 

 
 この温泉旅館外観はあっさり、反対側の立派な日本家屋に負けていると思ったら

 
 ロビーには格調高くアンティーク家具が一杯で嬉しくなりました。
 

 
 
 

 
 

 
 クレマチスの丘でサラダしか食べなかったのでここでトーストサンドイッチをいただきました。丁寧につくってもらい美味しかった~
 

 


 
 
 

 
 玄関には立派な時計
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 夕食、朝食を頂いたレストラン「遊山」の外観

 
この先、坂を降りたところに陶芸工房が有り体験できます。
 
この旅館は大仙湯と韮山湯の二つの源泉が堪能出来ます。
 
内湯も露店風呂も工夫がされています。
 
湯温が低くじゅっくり湯治ができるように濡れても大丈夫な本も置かれています。
 
畑毛温泉は
古くから温泉が開けていた。伝承では、源頼朝が当温泉で軍馬療養を行ったとされる。
また、江戸時代には「湯塚の湯」という名前で、腫れ物に対する温泉の効能が広く知られていた。寛延年間に湯治が行われたという文章の記録が残る。
与謝野晶子が畑毛温泉を訪れ「湯口より遠く引かれて温泉は 女の熱を失ひしかな」の句を残している。
上林暁が畑毛温泉を訪れた際の様子を『浴泉記』に記している。
昭和37年3月10日 - 厚生省告示第65号により、奈古谷温泉とともに国民保養温泉地に指定。WIKIより
 

 
新派の役者河合武雄像  
館内で河合武雄の舞台写真や遺愛の鏡台等の展示がありました。
ここで吉野作造、武者小路実篤の名前を見るとは!
以下は大仙家HPより
大正期から昭和初期にかけて、作家 武者小路実篤の日向「新しき村」に代表される運動が全国各地で行われ、ここ畑毛に於いても、大正デモクラシーの先駆者吉野作造博士を中心に総面積約2万坪に及ぶ「理想郷構想」が実施されました。
構想実現の為、この理想郷に宿泊施設が必要となり、新派の名優「河合武雄」が吉野博士と同郷の劇作家 真山青果の紹介を受け、大正十年に開業した「榮家旅館」が当館「大仙家」の始まりです。
河合武雄(本名 内山武次郎)は明治10年3月、歌舞伎俳優 5代目大谷馬十の次男として東京築地に生まれました。
明治26年7月(17歳)、横浜鶯座の山口定雄一座で初舞台を踏んだ武雄は天性の容貌と美声に恵まれ立女形の名優として活躍し、昭和17年3月21日、ここ畑毛の地でなくなりました。享年66歳。
武雄は、当時の演劇界において最も舞台映えのする女形を創り上げたと言われ、絶大な人気を博しました。華やかな絢爛さに加え、匂うばかりの妖艶さを備えた女形は、あでやかな緋牡丹の花に例えられ、新派の歴史の中に現在もなお燦然とその名を残しています。
また、美人画の大家 鏑木清方は描く女の絵姿に「河合という女形から大きな影響を受けた」と言わしめさせる程、華のある俳優でした。酒乱の芸妓役では他に追随を許さない独自の妙味を開いたと評され、大正期に入ると伊井蓉峰、喜多村緑郎と共に『新派三頭目』の1人と呼ばれる名優の地位を築きました。


◇『長湯して飽かぬこの湯のぬるき湯に ひたりてやすき心なりけり』
  ・・・若山牧水
◇『心をば破れて鳴らす鼓とし 静かに在りぬ畑毛のひと夜』
 ・・・与謝野鉄幹
◇『浴室の石の床をば湯のぬるく 這いたる伊豆の如月の宿』
 ・・・与謝野晶子
◇『かげろうや おもかげにたつ ひとひとり』 
  『東京の おぼろかなしき こよいかな』
  ・・・傘雨(久保田万太郎)河合への追悼2句
夕食はお腹がはちきれるほど、頂いたらすぐ爆睡してしまいました。
旅館の食事は手術したものには多すぎます。
夕食朝食の写真は又ご覧下さいね。
 
 
 
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