唐津城・見帰りの滝・有田ポーセリンパーク・泉山磁石場

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10月12日は唐津城観光から始まりました。
Pから唐津のお祭り描いたタイルの地下道通り、エレベーター100円でお城へ。
帰りは歩きです。

 
唐津市街の北部に位置し、松浦川唐津湾に注ぐ河口の左岸、満島山に位置する。唐津湾に突き出た満島山上に本丸が配され、その西側に二の丸、三の丸が配された連郭式の平山城である。北面は唐津湾に面するため、海城ともいわれ、萩城とともに現在も直接海にそびえる石垣がみられる。松浦川の右岸には虹の松原(国の特別名勝)が広がり、満島山を中心に鶴が翼を広げたように見えることから舞鶴城とも呼ばれる。
 
明治4年(1871年)廃藩置県により廃城となり、払い下げにより建造物が解体された。明治10年(1877年)舞鶴公園として整備、開放された。昭和41年(1966年)文化観光施設として5層5階の模擬天守が築かれ、門・櫓も同時に再建された。平成元年(1989年)唐津市役所前に肥後堀と石垣を復元。平成4年(1992年)二の丸跡に時の太鼓を復元。平成5年(1993年)市役所付近に三の丸辰巳櫓が復元された。
 

樹齢何年でしょうか。こんな藤の幹観た事がありません。
 

 
 

 

 
次は日本の滝百選にも選ばれた唐津市相知(おうち)町の見帰りの滝。
行きはこの様な流れを観ながら登っていきました。反対側に舗装道路が在り近くまでバスで行けるはずでしたが添乗員さんもガイドさんもそれを御存じなかった!
 

 

 
 

 
 

 
かたつむり!
 

 
 ランチ(←ランチの様子はこちら)のために寄ったのが有田ポーセリンパーク
本格麦焼酎「のんのこ」の「宗政酒造」と日本磁器発祥の地、有田陶器市のまち「有田」 のテーマパーク有田ポーセリンパーク
 
このお城のコピーにはびっくりでした。
 
この宮殿のモデルとなった実物のツヴィンガー宮殿は、ドイツ・ザクセン選帝候(せんていこう)でありポーランド王でもあったアウグスト王によって1709年から23年の年月をかけて、現在のドレスデン市に建てられました。 当時ヨーロッパにはまだ磁器をつくる技術がなく、東洋から渡ってくる見たこともない絵が描かれた白いやきものは、金や宝石と同じ価値で評価され、王侯貴族に熱心に集められました。 アウグスト王は、ヨーロッパにおける最大のコレクターであり、この宮殿の中には東洋(中国・日本・インドなど)に関する文献や資料とともに膨大な量の東洋陶磁のコレクションが保管されていました。 アウグスト王の命令でヨーロッパ初の磁器(マイセン磁器1709年~)が完成したときには、王の趣味で有田の古伊万里や柿右衛門様式の絵柄に似せた物もたくさん作られ、今でもそのデザインは受け継がれています
 

 

 

 

 
 

 
有田焼の噴水
 

 
 
この後は泉山磁石場(日本磁器発祥の聖地)と九十九島遊覧。
 
 『李参平発見之磁礦地』の石碑にみるように、江戸時代初め、朝鮮人陶工の李参平(邦名・金ヶ江三兵衛)がこの磁石場を発見したことで、まさにココから400年にわたる有田焼の輝かしい歴史が始まりました。ここから発掘された石で焼かれた大皿が、大壷が、華やかな彩りを得て、遠く欧州の宮殿をも飾りました。またある時は将軍、大名へと、ある時は天皇、宮中へと、そして日本全国各地へと運ばれて行きました。
豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に佐賀藩の鍋島直茂が日本へ連れ帰った朝鮮陶工一族の一人でした。焼きものに適した藩内の地を随分と探し回り、やっとのことで、この有田泉山の地を見つけたといいます。もし彼がこの時期にこの地を見つけていなかったとしたら、おそらく日本の焼き物の歴史は大きく変わったんじゃないかと思います。

 

 

 
ここにも朝鮮人強制連行の悲劇が…
 

 

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