「茶色の朝」を読んで


 
落合恵子さん推薦の本、病院の待ち時間に読みました。
 
私の手術を担当してくれた外科医は他の患者さんも絶賛、でもCTの結果聞くのに、
1時間半待ちました。
予約の時間は10時半からなのですが患者さんの話をちゃんと聞いてくださるためか、遅れます。
 
このは本はフランスの心理学者で人権運動家であるフランク・パヴロフによる著書、
 
フランスで50万部突破のベストセラーです。選挙も動かしました。
 
 「茶色の朝」。 とある国、国家権力の下、犬や猫も「茶色」以外は抹殺されます。
 
さらに「茶色」的 でない人・物・コトは抑圧され、奪われ、排除されていく。
 
それからしばらく経って、今度は『街の日報』がもう発行されないということを私がシャルリーに教える番だった。彼は
びっくり仰天した。『街の日報』はクリーム入りコーヒーを飲みながら、彼が毎朝開いている新聞だったのだ。
― 彼らが潰れたって? ストライキか、倒産か?
― いや、いや、犬の一件の続きのためだ。
 
もっと抵抗すべきだったのだ。だがどうやって? 連中の動きは実に迅速だったし、私には仕事もあれば日々の暮らしの
悩みもある。他の連中だって、少しばかりの静かな暮らしが欲しくて手を拱いていたんじゃないのか?
誰かがドアを叩いている。明け方のこんな早い時間には今までなかったことだ。日はまだ昇っていない。外はまだ茶色だ。
 
思い出すのは
 
彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』は、ドイツルター派牧師であり反ナチス行動で知られるマルティン・ニーメラーによる
たくさんのバージョンが存在するが、その内容は基本的には、迫害ターゲットグループを徐々に拡大していくナチ党に恐怖を感じつつも、「自分には関係ない」と見て見ぬふりをしていたら、自分がいざそのターゲットとなったときには、社会には声を上げることができる人は誰もいなくなっていた、というもの。自分が属するプロテスタント教会に手が伸びる前に次々と迫害されるターゲットグループとしては、共産主義者社会主義者社会民主主義者)、労働組合員、ユダヤ人障害者カトリック教会、などがあげられる。
強いメッセージ性を持つため、政治への無関心層へ政治への呼びかけとして世界の多くの場所で引用されている。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
最近の朝日に前にUPしたことがある伊丹万作の『戦争責任者の問題』が載りました。
さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知っている範囲ではおれがだましたのだといった人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぽつぽつわからなくなってくる。(中略)
日本人全体が夢中になって互いにだましだまされたりしていたのだろうと思う。

このことは、戦争中の末端行政の現れ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といったような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。(中略)

少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして、連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、誰の記憶にも直ぐ蘇ってくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といったように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であったということはいったい何を意味するのであろうか。(中略)

だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、いっさいの責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘違いしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。(中略)

そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも雑作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己のいっさいをゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかった事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかった事実とまったくその本質を等しくするものである。

そしてこのことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。

それは少なくとも個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。

我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分達の罪を真剣に反省しなかったならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、いっさいの責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである。(後略)映画春秋1946年8月号
 
伊丹 万作(いたみ まんさく、本名:池内義豊1900年1月2日 - 1946年9月21日)は、昭和初期に活躍した映画監督。日本映画の基礎を作った監督の一人である。映画監督、俳優の伊丹十三は実子。小説家大江健三郎は娘婿。
 

 
四海波静    茨木のり子
戦争責任を問われてその人は言った  
そういう言葉のアヤについて  
文学方面はあまり研究していないので  
お答えできかねます
思わず笑いが込上げてどす黒い笑い 吐血のように噴きあげては 止り 
また噴きあげる三才の童子だって笑い出すだろう文学研究果さねば 
あばばばばとも言えないとしたら四つの島笑(えら)ぎに笑(えら)ぎて 
どよもすか三十年に一つのとてつもないブラック・ユーモア
野ざらしのどくろさえかた かた かた と笑ったのに
笑殺どころか頼朝級の野次ひとつ飛ばずどこへ行ったか散じたか
落首狂歌のスピリット四海波静かにて黙々の薄気味わるい群聚と
後白河以来の帝王学無音のままに貼りついてことしも耳すます除夜の鐘   (「ユリイカ・現代詩の実験」1975年12月臨時増刊号より)

 
この詩は尹健次神奈川大学教授の「天皇制と朝鮮」の中で紹介されています。日本人の無責任さを鋭く突いてますね。

 
 
もう一度「茶色の朝」に戻って
強者の論理を振りかざし、外国人や女性や障害者への差別発言を繰り返す政治家
 
が人気を博したりメディアが特定の国への敵意を煽り、その国につながる人々が陰
 
湿な嫌がらせ、暴力、暴言の標的になったり、
 
学校で国旗・国歌への忠誠が強制され反対する先生たちが権力に処分されたり
 
権力による個人情報の一元的管理、盗聴、メディア規制など国民統制を可能とする
 
法律がつぎつぎに成立されたり。
 
「国を守る」戦争のときには国民の人権が制限され一定の犠牲者が出ても
 
という法律が制定されたり…
 
高橋哲哉のメッセージの一部です。
 
アメリカによる名古屋への空襲は60回も有り、軍事産業で働く人々を狙ったものだと、昨日の番組で知りました。
名古屋の道路が広いわけは空襲で中心部が焼かれてしまったからです。

 

 


転載元: 猫と薔薇、演劇、旅ファン

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