関西の原発リスク知っていますか



こんにちは。
きのこに柿に栗。戻り鰹に秋刀魚ににしん。おいしいものがたくさんの季節ですね。
皆さまにはいつもグリーンピースの活動を応援してくださり、ありがとうございます。





関西の原発リスク、知ってますか?
たった一度の原発事故がいったい何を引き起こしたか。
いまも続く、東京電力福島第一原発事故の悲劇。

もし福井県にある15基の原発が事故を起こせば、その悲劇が関西でも繰り返される危険性があります。
たとえば 近畿1400万人の飲料水の源、琵琶湖。
この湖の起源は350万年前、世界でも有数の古代湖です。固有種および固有亜種は62種におよぶ貴重な生物の生息地です。

たとえば世界的な経済都市である大阪や神戸が汚染された場合に予測される、日本経済全体への影響。
福井県に11基の原発をもつ関西電力は、原発への依存度が最も高い電力会社です。
原発が再稼働しなければ電気代はもっと上がる、経済への打撃が深刻化するなどと主張し、原発のリスクを無視するだけでなく、国際的に撤退の進むハイリスクな石炭火力発電所2カ所の建設まで計画中です。
大阪・兵庫エリアで計画中の全ての火力発電所が建設・40年稼働すれば、累計4,000~1万1,000人の早期死亡や、800人の低出生体重児の原因となり得ることが予想されます。

2011年以前、原発への依存度が最も高かった関西だからこそ、自然エネルギーの転換は大きな意味を持ちます。
そして、今なら、未来を選ぶことができます。安全で健康で豊かな暮らしのために、歴史遺産や豊かな文化を次世代に引継いでいくために、あなたも一緒に立ち上がってください。




■沖縄・高江:命の森からの伝言
「自然に優しい農業をしたい。安全な食べ物を作りたい」「大自然の中で子育てをしたい」。
フォトジャーナリストの森住卓さんが、沖縄の大自然とそこに暮らす方々の声を、写真と文で綴るブログ。ぜひご覧ください。


■原発機器に強度不足が発覚。メーカーのデータねつ造も。
26日に行われた高浜原発1,2号機再稼働差止訴訟の第二回口頭弁論。しかしハイリスクなのは老朽原発だけではありません。
今年6月、フランスで発覚した強度不足の原発部品を供給していたのは日本の「日本鋳鍛鋼」。
もちろん日本全国の原発でも、このメーカーの部品が使用されています。
グリーンピース・フランス共同して、詳しく調査中です。詳しくはブログで。


■署名提出しました
企業をエコに変えるには、『お客様の声』でよりサステナブルなお魚を食べたいと伝えることが大切。国内のスーパー5社・デパート5社にむけて消費者の声を集めた「SAVE MY BABY」署名を提出してきました。ご協力ありがとうございました。詳細をブログで報告します。





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もうきのこや栗が恐くて…もっと怖いのは原発事故ですが。

どうしてこんなに危険で巨額の費用が必要な原発を無理に稼働させるのか、理解出来ません。
推進する人たちは日本が世界を巻き込んで滅亡してもいいと思ってるのでしょうか。
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ローズ名古屋♪庄内緑地2



稲沢の生産農家が作出されたのですね!初めて知りました。
まだ咲いてなかったような。
検索しても出てきません。


強健で花付きのよいアンジェラ 鈴のような形が可愛い♪



つるピース 葉がこんな状況ですからやっと一輪

ピース (Peace) はバラ園芸品種で、黄色に桃色を帯びた大輪花を咲かせる。バラの品種改良の歴史の中で、非常に評価の高い、また影響力の大きい品種である。

ピースは木立性のバラで、八重咲きの大輪花をつけ、その黄色の花弁にピンクの覆輪をかける。その名は第2次世界大戦の終了記に命名されたものである。世界で一番美しいバラと言われたこともあり、世界バラ会連合が「栄光の殿堂入りのバラ」に最初に選んだ[1]のもこの品種である。
この品種は栽培も花を咲かせるのも容易で、当時としては病害虫にも強かった。この品種の作出はバラの品種改良の歴史を変えたと言われる。またこの品種を親として様々な名花が作られたことも知られている。



一眼レフ持っていこうとしたら電池切れで、トホホ








こんな所に水琴窟


パイナップル~

鳥の写真展開催中。

追記

ローズナゴヤ、ブログ友さんが教えてくださいました。



まあ、なんと派手なバラでしょうか、綺麗な写真も借物です。

快晴の庄内緑地その1


昨日はこの庄内緑地でチーゴン(気功)フェスタが有りました。
上の写真は公演入り口、HPからの借物写真です。


うちからは遠いので二回目ぐらいです。


入り口はコスモスがお出迎え
奥の方にバラ園や菖蒲園、運動場が有ります。










四季桜が並んでます。









大噴水ですがこの時は小さな吹上


大きな石のモニュメント
何なのか?


9時からこの広場で気功、懐かしい前のインストラクターや
知人にも会えました♪

大きな木です。

でも日差しが強かったので始め木陰にいたら耳がボヤーンとしてしまいなかなか治りませんでした。
前日も地下街のカフェで友人と話していたらそうなりました。
帰宅するころには治りましたが。
ネットで検索すると恐ろしい事も書いてあるので
心配になりました。


大きな時計台





健康のために来ているのに気功も2時間はやるので
最近は疲れてしまいます。
又何かの病気?

耳も治らないので休日診療所へ行きました。
診察して聴力検査をしました。

低い音が聞きにくいのは疲れかストレスかと言われました。

バラ園は次回に。

なぜ日本の野党は勝てないのか?反緊縮の時代の世界標準スローガン

珍しく雑誌世界を買いました。鶴舞図書館では雑誌世界は借り出し禁止、ほかの図書館から取り寄せなければならないのです。
昔はすぐ借りられたのに、バンサンカン等の雑誌は買う図書館!

まず読んだのが「なぜ日本の野党は勝てないのか?反緊縮の時代の世界標準スローガン」松尾匡

過剰富裕論と貧困女子高校生バッシング

有権者が求めているのは福祉と景気・雇用

若者は自民党に投票する、18,19歳の若者の42%が自民党に!

改憲には反対なので右傾化ではない。景気だけのために自民党に投票

有権者は生活が苦しくて自民党にしがみついている

野党が勝ったせいで景気が悪くなるリスクが有るのは困る

経済危機を煽れば煽るほど危機感を感じた大衆は自民党にすがりつく
(まあ、そうなんですか)

野党が自民に勝つには自民党の政策より、人々の苦しみや不安を取り除き、今よりも豊かになれるのだとわかる政策を示す必要がある。

貧困女子高校生をバッシングするものと同じ目線で景気拡大を望む大衆を見下していたならば、永久に自民党に勝てる日は来ないだろう。
(これは座間宮さんと同じ考えですね、政治がわかってるという上から目線では人々の気持ちはつかめない)

もし
欧州左翼のように、金融緩和マネーを大胆に使って直接に民衆の暮らしの向上のために支出する政策を打ち出す勢力があらわれたならば、
有権者の支持を自民党から奪って躍進することは容易だろう

松尾氏の
「この経済政策が民主主義を救うー安部政権に勝てる対策」があると
知り図書館にリクエストしました。


リサ・クリスティン:現代奴隷の目撃写真


リサ・クリスティン:現代奴隷の目撃写真

リサ・クリスティン:現代奴隷の目撃写真

TED 2015/11/20(金) 14:40配信

  • 虐げられている人たちなのに、顔が立派、リサが畏敬の念を抱いたと言うはずです。
  • 自分が奴隷とも知らない人がいる。
  • 過去のアメリカの奴隷より多くて儲けを生み出している奴隷たち。
  • 水銀につかりながら金を採取、絹を有害な染料に手でつけている人たち
  • 自分より重いレンガや石を運ぶ子供たち
Lisa Kristine
翻訳
ここはガーナの違法鉱山の地下50mです 空気は熱気と埃で重苦しく 息をするのさえ困難です 暗闇の中を汗だくの男達が すり抜けていくのを感じる以外 何も見えません 話し声が聞こえますが あとは男たちが咳き込む 不快な音と 粗野な道具で石を切り出す音だけが 縦穴の中に満ちています 他の人と同じように 私は ちゃちな懐中電灯を ぼろぼろなゴム紐で頭に縛りつけています 何十メートルもの深さの 幅約1mの四角い穴の壁面には 昇り降り用に滑りやすい木材が設置されていますが それさえも はっきりは見えません 手が滑った瞬間 頭をよぎったのは 数日前に 手を滑らせて 止めどもなく落下していった 鉱夫の姿でした

今 皆さんにお話している間も 男達は その穴の奥深くへと潜り 報酬も補償もないまま 自らを危険に晒しています 命を落とすことも珍しくありません

私は穴から這い上がり 家に帰れました しかし彼らは一生帰れません 彼らは奴隷の身なのです

28年間に渡り 私は6大陸の 70カ国以上で先住民文化を記録してきました そして 2009年にはバンクーバー平和サミットで 単独の展示を行う名誉を与えられました そこでお会いした多くのすばらしい人々の中に 現代の奴隷撲滅に献身的に取り組む NGO フリー・ザ・スレーブ の支援者がいました 私達は奴隷問題について話を始めました それから奴隷問題を学び始めました 世界にこの問題があることは知っていましたが そこまで深くは知りませんでした 話を終えて私は自己嫌悪に陥りました 自分が生きている時代に 起きている残虐行為について 無知な自分を恥ずかしく思いました そして 自分が知らないのなら 他にも 知らない人は大勢いるはずだと思いました 胃に穴があくほど思いは強まり 数週間後には 私はロサンゼルスに飛び フリー・ザ・スレーブの役員に手伝いを申し出ました

そうして 私は現代の奴隷の旅を始めたのです 奇妙なことに行き先は前にも訪れた場所です 幾つかは第二の故郷と思っていた場所です しかし今回は隠された事実に 直面することになりました

控え目な推定でも 現在世界では 2千7百万人以上の人々が奴隷として扱われています この数字は大西洋横断奴隷貿易時代に アフリカから移送された人の倍です 150年前 農場に送り込まれた 奴隷の値段はアメリカ人労働者の 年収の3年分でした 現在の貨幣価値ならば約5万ドルです ところが今日では わずか18ドル程度の借金のせいで 一家族が何世代にも渡って奴隷になってしまうのです 驚くべきことに奴隷制度は世界全体で 年間130億ドル以上の利益を生み出しています

奴隷の多くは良い教育や仕事等の 嘘の約束にだまされた人々で 報酬もなく暴力に怯えながら 逃げ出せない状況で労働を強いられています

今日の奴隷を駆り立てるのは商業です 奴隷扱いされる人々が作る商品には価値がありますが 商品を作る人々は使い捨てです 奴隷制度は世界中どこでも違法ですが 奴隷は世界中至る所に存在します

インドとネパールでレンガを焼く窯を訪れました その奇妙で恐ろしい景色はあたかも 古代エジプトかダンテの地獄篇に 足を踏み入れたようでした 気温50℃を超す現場では 男 女 子供を含めた家族全員が 埃まみれになりながら 頭の上に機械的にレンガを載せていました 多い時には18個も載せて 焼け付く窯から 数百メートル離れたトラックまで運ぶのです 単調さと疲労のため 彼らは物言わず黙々と一日16~17時間 この作業を繰返すのです 食事や飲み水の休憩すらありません 皆 重度の脱水症状を起こし 放尿すらままなりません あまりの暑さと埃のため 私のカメラは触れない程熱くなり 動かなくなりました 私は20分おきに車に駆け戻っては自分の 機材の埃を掃い エアコンにあてて甦らせました そうしている間に自分のカメラの方が あの人々よりも余程ましな扱いを受けていることに 気づきました

窯に戻ると泣出したい気持ちでした すると隣の廃止活動家が 私をつかんで言いました “泣かないで ここで泣いちゃだめだ” 彼が明言したのはこの様な場所で 感情を表現すると私のみならず彼らにも 大変危険だということでした 私が直接 彼らを助けることはできません お金を与えることも 何もできません 私はその国の人間ではありません 私が 彼らを今よりさらにひどい状況に 追い込んでしまう可能性がありました フリー・ザ・スレーブがその活動を通して 彼らを解放してくれるのを信じました 彼らならばきっとやってくれると思いました 私は家に帰るまで 自分の気持ちが張り裂けるのを我慢しました

ヒマラヤでは子供たちが石を背負って ふもとの道で待っているトラックまで 山岳地帯を何キロも運ぶのを見ました 大きな石板の重さは 担いでいる子供たち以上でした 棒とロープと布で作った 手作りのハーネスで 石を頭から 吊り下げていました これほどの衝撃的な現場を 目撃するのは辛いことです ここまで横行する悪行に  どうやって立ち向かえるでしょうか? ここまで横行する悪行に  どうやって立ち向かえるでしょうか? 報酬もなく一日 16~17時間も働かされているのに 中には自分が奴隷だと知らない人さえいます 生まれた時から同じ状況だからです 他と比べようがないのです このような村人が自由を主張したら 奴隷所有者は彼らの家を焼き払ってしまいました 彼らには何もなかったのです 彼らは恐れるあまり あきらめていました しかし中央の女性は自分たちの ために立ち上がり耐え抜きました そして現地の廃止活動家の 支援を受け採掘権を獲得しました そして現地の廃止活動家の 支援を受け採掘権を獲得しました 今でも同じ過酷な仕事ですが 自分たちのために働き 報酬を得ることができるのです そして何より自由の身です

奴隷という言葉を聞けば 性の不正売買を連想するほど 世界中に知れ渡っています この業界を取材する際には 身の安全を保証できないと 忠告されました

カトマンズでは以前に性の奴隷を 経験した女性たちに付き添ってもらいました 案内された 狭い階段は 薄暗い蛍光灯が照らす汚い地階に続いていました いわゆる売春宿ではなく どちらかと言えばレストランです 業界ではキャビン・レストランと呼ばれる 強制売春の温床です それぞれに小さな個室があり 奴隷の身の女性は ― 少女や少年や7歳の子さえいるのですが ― ― 少女や少年や7歳の子さえいるのですが ― 客に料理や酒をたくさん注文させながら 客の相手をしなければなりません 部屋は薄暗く汚れています 壁に識別用の番号があり ベニヤ板とカーテンで仕切られています 客の手による 悲劇的な性的暴行に 耐えなければならないこともあります ほぼ暗闇の中に立っていると 瞬時に激しい恐怖が湧き上がりました あの地獄に囚われた身を 想像するだけで身の毛がよだちます 出口は一か所しかありません 入ってきた階段です 裏口はありません 抜け出せるほど大きな窓もありませんでした この人たちに逃げ道は全くないのです この厳しい状況に触れると同時に 性の不正売買を含めた奴隷取引が 私たちの裏庭でも行われていることを お伝えしなければなりません

何万人もの人々が農園 レストラン 家事等の 何万人もの人々が農園 レストラン 家事等の 様々な労働を強制されています 最近のニューヨークタイムズ紙の報道によると 毎年10~30万人のアメリカ人の子供が 性の奴隷として売買されています 我々の身近にあるのです ただ目にしないだけです

繊維業もまた強制労働で連想する業種です 繊維業もまた強制労働で連想する業種です インドの村では家族全員が絹取引で 奴隷扱いされている様子を見ました これは家族の写真です 黒く染まった手が父親で 青と赤の手が息子たちです 彼らは大きな樽で染料をかき混ぜ 絹を液体の中に肘の深さまで沈めます ですが染料は有毒です

通訳が彼らの物語を伝えてくれました

“僕らに自由はない” と彼らは言いました “でも いつかは ここを出て 染物をして稼げる場所に行きたいんだ” と 染物をして稼げる場所に行きたいんだ” と

4千人を超える子供たちが 世界最大の人造湖 ヴォルタ湖で奴隷になっていると言われています 初めて訪れた際に 私は様子を見に行きました 船から魚を取っているのは家族だと思いました 2人のお兄さんと弟たちに見えませんか? いいえ 彼らはみんな奴隷でした 子供たちは家族から取り上げられ 売買されて姿を消すのです そして このような船での 長時間労働を強いられます しかも彼らは泳げません

この子は8歳です 私達のボートが近づくと震えていました 彼の小さなカヌーに衝突すると思ったのです 水中に突き落とされることを怖がっていたのです ヴォルタ湖に水没した木々によく漁網が絡みます ヴォルタ湖に水没した木々によく漁網が絡みます すると網を外すために怖がっている子供たちを 水の中に放り込みます 多くが溺れます

この青年は物心ついたときから 強制労働を強いられています この青年は物心ついたときから 強制労働を強いられています 主人が恐ろしくて逃げ出せません 彼はこれまでずっと 残忍な扱いを受けてきたので 仕切っている年下の奴隷たちを 同じように扱います 仕切っている年下の奴隷たちを 同じように扱います

彼らに出会ったのは朝5時です 最後の漁網を引き揚げている所でした 冷たい風が吹く夜中の1時から働きづめでした 冷たい風が吹く夜中の1時から働きづめでした しかも 大漁だと漁網は 500キロ以上の重さになります

コフィを紹介します コフィは漁村から救出されました 彼に出会ったのはフリー・ザ・スレーブの 奴隷被害者リハビリ施設でした 井戸で入浴している所です 大きなバケツで頭から水を浴びていました すばらしいことに こうしてお話ししている今まさに コフィは家族と共にいます さらに良いことに彼の家族には 生活の糧となり 子供たちの安全を守る 道具が支給されました コフィは可能性の象徴です 立ち上がった人物がいたおかげで 彼の人生は変わりました

ガーナの道をフリー・ザ・スレーブの スタッフと一緒に車で走っていた時 ガーナの道をフリー・ザ・スレーブの スタッフと一緒に車で走っていた時 突然バイクに乗った廃止活動家が 我々の車に近づき窓を叩き 指示しました ジャングルに続く泥道を先導するから付いてこいと 道の行き止まりで我々をクルマから降ろすと 彼は運転手に立ち去るよう言いました それから 彼は道なき道を指さして言いました “この道だ この道を行け” と 道を遮る植物をかき分けて約1時間進むと 道を遮る植物をかき分けて約1時間進むと 小道は最近の雨で完全に水に浸かっていました そこで私は写真用機材を頭の上に持ち上げ 胸まで水に浸かりながら進みました そこで私は写真用機材を頭の上に持ち上げ 胸まで水に浸かりながら進みました 更に歩くこと2時間 曲がりくねった小道は突然終わり 目の前に サッカー場ほどの 穴だらけの採掘場が広がりました 穴の中では 大勢の奴隷が働いていました 女性の多くは子供を背中に背負ったまま 金を選鉱していました 足が浸かっている水は水銀で汚染されています 採取工程で水銀が使われるのです

こちらの鉱夫たちはガーナの 別の地域の鉱山で働く奴隷です 縦穴から出てくる時 彼らは汗でびっしょりです 彼らの疲れ果てて充血した眼を思い出します 彼らの多くは72時間も地下に潜ったままでした 縦穴の深さは90mあります 彼らは重い石が入った袋を 外に運び出します 次にその石は 別の場所に運ばれて砕かれ 金が採取されます

一見 力持ちの男達が大勢いるように見えますが すぐに崖っぷちな状態に置かれた 不幸な人々であることに気づきます そして子供もいます 彼らは怪我 病気 そして暴力の被害者です 実際このとても筋肉質な人ですら あと数年で結核と水銀中毒のせいで こうなってしまう危険が高いのです

彼はマヌルといいます 父親が死んだ時に 叔父が彼を 自分が働く鉱山に売りました 叔父が死ぬと 叔父の借金を背負わされました そして彼は 鉱山の奴隷労働から 逃れられなくなりました この時 彼は14年も鉱山で働いていました 足の怪我は採掘中の事故のせいです 足の怪我は採掘中の事故のせいです かなりの重傷で 医師は 切断すべきだと言いました しかもマヌルは結核にかかっています それでも彼は連日 縦穴での作業を 強いられています

それでも彼は いつの日か フリー・ザ・スレーブ等の活動家の援助を得て 自由の身になり教育を受けることを夢見ています 自由の身になり教育を受けることを夢見ています 絶望的な状況に置かれながらも 希望を捨てない人々を見ると 私の胸は 畏敬の念にあふれます

奴隷問題に光を当てたいと思います 現地で作業する際に ろうそくをたくさん持っていきました 通訳に助けてもらいながら 撮影した人たちに分け与え 彼らの物語と窮状に光を当てたいと思いました 彼らの物語と窮状に光を当てたいと思いました 彼らと私の安全が確認できた時に 撮影した写真です 彼らは自分たちの写真が世界中の 人々に見られるのを知っています 彼らは自分たちの写真が世界中の 人々に見られるのを知っています 私は彼らに伝えようと思いました 私達が彼らの目撃者となり 彼らの人生を 変えるためにできる限りの手を尽くすと 私は本当に信じているのです 私たちがお互いを同じ人間として 見ることができれば 奴隷のような残虐行為はなくなると 写真に映っているのは社会問題ではなく 私たちと同じ生きている人間です 権利 尊厳 そして尊敬に値する人々です 権利 尊厳 そして尊敬に値する人々です 私が光栄にも出会うことができた 虐げられた大勢の素晴らしい人々のことを 一日たりとも忘れることはありません

これらの写真が あなた方のような

見る人々の力を呼び起こし その力が結集して火となり その燃え盛る火が奴隷問題に 光を当てることを願います その光がなければ束縛という野獣は 闇の中で生き続けます その光がなければ束縛という野獣は 闇の中で生き続けます

たいへんありがとうございました

(拍手)

この2年あまり写真家のリサ・クリスティンは世界中を旅して、我慢できないほど過酷な現代の奴隷の現実を記録してきました。彼女はガーナの鉱夫やネパールでレンガを運び出す人々等、心に残る写真を紹介しながら、世界中で奴隷扱いされる2千7百万人に上る人々の窮状を訴えます。 ( translated by Akira Kan , reviewed by Mieko Akai )
動画撮影日:2012/1/22(日) 0:00

やはり痛快、面白い~ドクターX ~外科医・大門未知子

いつも同じだからと思いつつも見ると痛快で面白い、
大門のあまりの脚の細さに心配になるぐらい、
白衣の下のファッションも素敵♪





ドクターX ~外科医・大門未知子~ (第4シリーズ)

第3話 「20年前の医療ミス!?不倫相手のお腹の秘密」

不倫相手にお腹に忘れ物されて!

検査の前に食べていいの? 検査は次の日?

手術場面は自分の手術も思い出します。

どんでん返し、ひねってあってさすが。

彼女が都知事選に?  口止め料がおかしい。




神原や大門が住む家、この建物は?


脚本中園ミホ
2007年、ドラマ『ハケンの品格』の脚本で放送文化基金賞を、2008年には日本女性放送者懇談会の「放送ウーマン賞2007」、橋田壽賀子賞作品賞をそれぞれ受賞した。
2013年、ドラマ『はつ恋』、『Doctor-X 外科医・大門未知子』で第31回向田邦子賞を受賞した。

野球中継延長のため50分遅れで放送されたのに、番組平均視聴率24.3%を記録

病院内で西園寺が若い看護師から「ゲス男」と陰口を叩かれ、未知子によって命を救われた三佐江は西園寺に恨みを言うどころか、「都知事になって世の中のすべてをクリーンにする」「過去のつまらない男とのスキャンダルで足をすくわれたくないの」と言い放って手切れ金を渡すなど、今年の世相を反映する内容で最後まで見ごたえたがあった

脚本第一ですね。

病院内で西園寺が若い看護師から「ゲス男」と陰口を叩かれ、未知子によって命を救われた三佐江は西園寺に恨みを言うどころか、「都知事になって世の中のすべてをクリーンにする」「過去のつまらない男とのスキャンダルで足をすくわれたくないの」と言い放って手切れ金を渡すなど、今年の世相を反映する内容で最後まで見ごたえたがあった。

≪再放送のお知らせ≫第3話は、11月3日(木)14時59分~15時55分に再放送いたします。※関東地区のみ放送

アベ総理の意識を具現化する、下賤秋元康








*【秋元最悪】「アイドルグループ『欅坂46』はナチス風!」

… 10月26日付のリテラより。

欅坂46の衣装がナチスそっくりと炎上! 

ウケ狙いだけで「ファシズム」「軍服」を安易に取り入れる “ 秋元康 ” 的手口。

https://news.nifty.com/article/domestic/society/12218-5152/


転載元: 情報収集中&放電中

三笠宮と五日市憲法、紀元節

<評伝>三笠宮さま 平和の大切さ、訴え続け

 「戦争」と「昭和」を背負い続けた生涯だった。三笠宮さまは現在の皇族の中でただ一人、軍人として戦地へ。日本を破滅に追い込んだ軍部独走への怒りと、自らもその一員に加わったことへの反省は戦後、平和の大切さや国際親善の重要性を一貫して訴える原動力になった。
 戦前の男性皇族は、陸海軍いずれかの軍務に就く決まりで、三笠宮さまは陸軍に進んだ。一九四三年一月、参謀として赴任した中国・南京で、聖戦の美名からかけ離れた日本軍の蛮行を知る。自著では、任官して間もない頃を振り返り「今もなお良心の呵責(かしゃく)にたえないのは、戦争の罪悪性を十分に認識していなかったことです」と記している。
 九八年に国賓として来日した中国の江沢民国家主席(当時)には、宮中晩さん会で「今に至るまで深く気がとがめている。中国の人々に謝罪したい」と話したとのエピソードが残る。
 終戦間際、陸軍内の戦争継続を主張する勢力から協力を求められたが、断固として拒否したとされる。
 戦後は歴史研究者として、事実を何よりも重視する姿勢を貫いた。五〇年代後半、「建国記念の日」として紀元節(神武天皇が即位したとされる日)の復活を目指す動きに「歴史的な根拠がない」と反対論を唱えた。政治的な発言ができない皇族という立場からの際どいメッセージに批判の声も上がったが、自説を貫いた。
 皇室の在り方にも「菊のカーテン」という表現で、閉鎖性を批判することがあった。幼少期に大正デモクラシーの自由な空気に触れ、皇位継承の可能性が低かった大正天皇の四男という比較的自由な立場も、人格形成に影響したのだろう。
 三笠宮さまの戦争と平和に対する一貫した姿勢は、戦没者慰霊に全身全霊を注ぐ天皇、皇后両陛下をはじめ、次世代の皇族方にも受け継がれている。皇族として何をなすべきなのか思索を重ね、行動した人生だった。

中日春秋

 「近代日本の黎明(れいめい)期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、感銘を覚えた」。皇后美智子さまが、そう評されたのは、自由民権運動の熱い熱の中で生まれた私擬憲法案「五日市憲法草案」である
▼この画期的な文書を一九六八年に見つけた歴史学者・色川大吉さんはある時、「三多摩自由民権運動展」を開催したが、地元の役所もマスコミも冷淡で、さっぱり来場者が来ない。困って、旧知の著名な歴史学者に助けを求めた
▼翌日、その方は来場し、興味深く見ると、大声で「こんな自由民権の時代にも権力の弾圧があったのですか」と言い、会場にいた記者らを驚かせた。この歴史学者こそ、三笠宮崇仁さま。おかげでイベントは大盛況になったそうだ(『色川大吉歴史論集 近代の光と闇』)
▼戦時中、軍務で中国に赴いた三笠宮さまは、そこで「正義の戦争」とかけ離れた醜い現実に衝撃を受けた。その経験から戦後、「社会正義」の歴史的源流を求め、古代オリエント史を研究し始めたという
▼皇族として福祉など社会事業に専念すべきではないかとも悩んだが、自問の末に、歴史を学び続けることは「未来の義務を考えること」と意を決したそうだ
▼激動の時代を歴史の証人として生き、百歳で逝去された。その一生そのものが、未来への熱い願いがこめられた歴史書にもみえる。
 

色川先生懐かしいです。
30年ぐらい前、自由民権や田中正造のフィールドワークに行きました。足尾銅山、田中正造記念館、秩父事件関係回りました。

明治の青年たちが英仏の人権思想の本を取り寄せ、勉強して
各地で民主的な憲法草案作りましたが、その一つが五日市憲法です。
残念ながらそれらは明治政府により弾圧され政府は国民には秘密のうちに君主権の強い憲法を発布、それが戦争への道でした。

人権思想の大嫌いな今の政府、リベラルな皇族も癪に障るでしょう。

「戦争は女の顔をしていない」と「ボタン穴から見た戦争」

第二次世界大戦で死者が一番多かったのはどこの国?


資料集や歴史の本に書いてあった

ソ連が2000万人、中国は1000万人。

中国の死者は日本に責任が有ります。

「中国の旅」等で焼きつくし、殺しつくし、うばいつくす…日本軍による三光作戦」や

731部隊の人体実験を知りましたが膨大なソ連の死者についてはレニングラードは包囲戦ぐらいしか知りませんでした。

子供の課題図書にこの悲劇の本が有りました。

ドイツ軍はソビエト連邦第2の大都市レニングラード(現・サンクトペテルブルク)を900日近くにわたって包囲したが、レニングラードは包囲に耐え抜き、後にスターリンによって英雄都市の称号が与えられた。飢餓や砲爆撃によって、ソ連政府の発表によれば67万人、一説によれば100万人以上の市民が死亡した[2][3]。これは日本本土における民間人の戦災死者数の合計(東京大空襲沖縄戦広島長崎を含む全て)を上回る。

チェルノブイリの祈りに続き
スベトラーナ・アレクシエービッチの二冊目です。
あまりにそれぞれがすべて悲惨で今の私たちが知らなければならないことです。
もう書きつくせません、是非読んでいただきたいです。

戦争がどれほど非人道的な物か。

内容紹介

ソ連では第二次世界大戦で100万人をこえる女性が従軍し、看護婦や軍医としてのみならず兵士として武器を手にして戦った。しかし戦後は世間から白い目で見られ、みずからの戦争体験をひた隠しにしなければならなかった――。500人以上の従軍女性から聞き取りをおこない戦争の真実を明らかにした、ノーベル文学賞作家の主著。(解説=澤地久枝)

内容(「BOOK」データベースより)

ソ連では第二次世界大戦で百万人をこえる女性が従軍し、看護婦や軍医としてのみならず兵士として武器を手にして戦った。しかし戦後は世間から白い目で見られ、みずからの戦争体験をひた隠しにしなければならなかった―。五百人以上の従軍女性から聞き取りをおこない戦争の真実を明らかにした、ノーベル文学賞受賞作家のデビュー作で主著!



訳者の三浦みどり

ロシア語通訳で翻訳家の三浦みどりさんが12月13日に亡くなりました。
 三浦さんはベラルーシのドキュメンタリー作家アレクシエーヴィチを日本に紹介し、 『アフガン帰還兵の証言』(日本経済新聞社)『ボタン穴から見た戦争』『戦争は女の顔をしていない』(群像社)を翻訳しました。アレクシエーヴィチ来日の際には通訳をつとめています。

 チェチェン紛争にも早くから関心を寄せて少数民族への共感を示し、プリスターフキン『コーカサスの金色の雲』(群像社)やポリトコフスカヤ『チェチェン やめられない戦争』(NHK出版)の翻訳を出しました。

 また、石井桃子著『ノンちゃん雲に乗る』をロシア語に翻訳、ロシアで出版したほか、新見南吉の「手袋を買いに」も露訳し、日本の優れた児童文学をロシア語圏に紹介しました。
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/4255c351e9de5ea95dabfdb87e059814
  チロ基金は三浦みどりさんのおかげで、このロシア語版「ノンちゃん雲に乗る」をベラルーシの子どもたちに紹介することができたのです。
 詳しくはHP「ベラルーシの部屋」内「ノンちゃんをベラルーシの子どもたちの手に」運動についてご覧ください。



形式: 文庫
著者のスヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチは、1948年ウクライナ生まれのジャーナリスト・作家であり、2015年にノーベル文学賞を受賞した。著者の作風は、ジャーナリストとしての経験を活かした記録文学である。本書は、白ロシア(現ベラルーシ)の子供たち101人が第二次大戦中に経験した体験を、聞書きとしてまとめたものである。戦争当時(1941年)の子供たちの年齢は3歳から15歳、最も多いのは10歳前後である。本書が残した過酷な子供たちの体験は、現在読んでも辛くなる。たまたま、東京新聞が連載している「平和の俳句」で、「戦争は大人が子供を殺すもの」(2016年4月25日掲載、中村裕さん作)を読んだが、この句が本書の内容を簡潔に表現しているように思われた。

第二次世界大戦開始後の1941年6月22日、白ロシアにドイツ軍が侵入した。以後、白ロシアは独ソ両軍の主戦場となり、侵攻したドイツ軍は白ロシアの地を徹底的に破壊した。こうしてのどかな農村地帯だった白ロシアは一気に地獄のような混乱に陥ったのである。この地獄はソ連の反撃によりモスクワ郊外からドイツ軍が大混乱の中を撤退した12月まで続く。本書は、この地獄を体験した子供たちの証言である。子供たちは、恐怖や飢餓の中でも母親の存在に救いを求め、兄弟姉妹たちの安否に心を痛め、また戦地の父や兄の帰還を祈る。混乱の中でも、迷子になった子供
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ドイツでは花を飾りまっ白いテーブルクロスがあった、
ソ連の普通の家にはそんな物はなかった、なのに
なぜドイツはソ連、を攻めたのか。という証言も有ります。

子供たちをドイツの戦車が轢いていき
何も残らなかった。

女性も子供も祖国を守るために前戦に行こうとした。

若過ぎて止められても。

戦争が終わっても悲劇は続いた。

三笠宮さま ご逝去 昭和天皇の弟で100歳

学生時代に三笠宮の歴史の本を読みました。
歴史学者であるので戦争責任を考えておられたでしょう。
「今もなお、良心のかしゃくにたえないのは、戦争の罪悪性を十分に認識していなかったことです」


三笠宮さまは、軍人として太平洋戦争を経験し、戦後は歴史研究に力を尽くされました。三笠宮さまは、大正4年、大正天皇の四男として誕生されました。昭和天皇の弟にあたられます。戦時中は、陸軍の参謀として中国の南京に赴任したほか、大本営の参謀なども務められました。のちに、著書の中で、「今もなお、良心のかしゃくにたえないのは、戦争の罪悪性を十分に認識していなかったことです」などと述べられています。

戦後は歴史研究者の道を選ばれました。東京大学の研究生として中東の古代史を専攻し、長年にわたって東京芸術大学などで教べんを執られました。電車で大学に通われるなど、気さくな人柄で親しまれました。日本レクリエーション協会の総裁を務め、スポーツやレクリエーションの発展にも力を尽くされました。また、研究をきっかけにトルコの人たちと交流を深めるなど、国際親善にも努められました。

5人のお子さまが誕生しましたが、三男の高円宮さま、長男の※寛仁さまに続き、おととし6月には次男の桂宮さまが亡くなられ、3人の男のお子さま全員をなくされました。去年12月に100歳になり、ことしの新年一般参賀でも元気な姿を見せられていました。

(※「寛」は、右はねに点)

追記
「偽りを述べる者が愛国者として讃えられ、真実を語る者が売国奴とののしられた世の中を、私は体験してきた。

戦時中に日本軍参謀として中国南京への駐在を経験された。

戦後、皇族の立場から「聖戦』の実情を批判的に回顧して大きな反響を呼んだ。

紀元節復活も反対。

南京では現地将校を前に「略奪暴行を行いながら何の皇軍か」

「罪もない中国の人民に対し犯した忌まわしい暴虐の数々はいまさらここにあげるまでもない」

「内実が正義の戦いでなかったからこそ一層表面的には聖戦を強調せざるを得なかったのではないか。」

紀元節復活の動きには歴史学者の会合で
「反対運動を展開してはどうか。」

「日本のあけぼの」では
「こんな動きは又戦争につながるのではないだろうか」

「中国の人に謝罪したい」

同感です。

名古屋でフォークダンスも踊られました。
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