華麗なる英国美術の殿堂ロイヤルアカデミー展






今回の展示にヴィクトリア女王の娘ルイーズ王女の作った作品がありました。女王の大理石像を作っていたのです。知りませんでした。

ルイーズは姉妹の中で一番美しいといわれ、王族のたしなみ事以上に芸術の才能があった。この才能は、イギリス王室の誰よりも抜きん出ていた。彼女は作家、彫刻家であった。絵画では、油彩でも水彩でも見事な作品を仕上げた←

クーパーの「虚栄」の高慢そうな美女
アビーの「リュート弾き」(豪華な赤いドレスの女性)
ウォターーハウス「人魚」が目をひいてました。


↓の右の絵はチャールズ・ウェスト・コウプの
1875年度のロイヤルアカデミー展出品審査会について



ここは現在に続くアカデミーの拠点、バーリントン・ハウスのギャラリーの中。アカデミー会員たちが年次展覧会(アニュアル・エキシビション)の出品作品を審査している。アカデミーは設立当初より、画家に作品発表の機会を提供するため、誰でも応募可能な年次展覧会を開いてきた。会員以外は厳しい審査を通過しなければ展示には至らない。
シルクハットを被り、手に小槌を持つのは時の会長でこのバーリントン・ハウスの入手に成功したフランシス・グラント、画面左端に座る黒髭の男は次期会長のフレデリック・レイトン、そして中央手前でこちらに背を向けて座るのがレイトンの次の会長で、ラファエル前派を立ち上げたJ.E.ミレイである。作者であるコウプ自身は、会長グラントの後方奥でこちらに目線を投げかけている人物である。他にも当時の会員の面々が見られる。
画面右側では回転式の台に審査する作品を乗せ、その横で男がチョークを手に持ち、受入であればAcceptedのA、対応を決めかねる場合はDoubtfulのD、拒否の場合はRejectedのRというように、作品の後ろに審査結果を記す。
奥の展示室では作品を運ぶ労働者の様子が窺える。写真のように細部に至るまで自然で明快に描かれた本作からは、当時の出品審査会の様子が臨場感を持って伝わってくるようである。
コウプは水彩画家の父を持ちイギリス・リーズに生まれ、1828年にアカデミー・スクールに入学、母子のいる室内画で好評を博した。1842年には国会議事堂装飾画コンペティションで1等を得ている。

東京富士美術館 学芸員 平谷美華子(ひらやみかこ)


何カ月もの苦労と経験、その後ようやく泣く子も黙る審議会がご登場
一瞥するかしないかのうちに視界から外され、瞬時に三流と決めつける
欠点を見つけ出す時間すら不十分なまま、バツ印がつけられ「不合格」と振り棄てられる・

コウプはこうした批判に反論するかのように 審査員たちが新権威作品の良しあしを判断する様子を描いています。


ローマ国立近代美術館















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小出助教 最後の講演 「原子力は徹底的に危険で差別的」

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きのうの熊取・安全ゼミ。正面には左から川野真治さん、今中哲二さん、小出裕章さん。手前に海老沢徹さん、斜め前に小林圭二さんという豪華なポジションで話を聞きました。

 小出さんは三月末で退官。その後は、と問われ、「仙人になる」と冗談とも本気ともつかぬ口調で。質問に立った誰かがうまいことを言っていました。
 
「つまり、小出さんが千人になるという意味か」と。

 小出さんはじめ、安全神話に警鐘を鳴らし続けてきた「熊取6人衆」。彼らの講演を聞いたり本を読んだりした一人ひとりが、千人、万人となって、広げていかなければ、ですよね。
 
 
※画像はうずみ火の記者A様からお借りしております。
益々のご健康とご活躍を祈念致します。


転載元: 幸せの青い鳥

NHKなどの大手メディア、皇太子さまの憲法発言を報じず!海外では好意的な反応!中国人「皇太子さんは素晴らしい」 new!!


皇太子さまが55歳の誕生日に平和憲法の大切さを話してくれましたが、NHKや読売新聞などの大手メディアはこれを無視していたことが判明しました。司会者として有名な池上彰氏も自身のコラムで、「皇太子の憲法への言及なぜ伝えぬ」と疑問を投げ掛けています。皇太子さまの発言を全て報じたのは報道ステーションなどの朝日系列くらいでした。

海外では皇太子さまの発言はかなり評価されており、日本との領土問題を抱えている中国でも多くの方が「皇太子さんは素晴らしい」「賢明な君主が人の上に立つべきだ」等とコメントしています。ちなみに、憲法改正を主張している日本の右翼層は多くが皇太子さまの発言を無視していました。

☆皇太子さま「謙虚に過去を振り返り、歴史を正しく伝えることが大切」、誕生日の記者会見で=中国ネットユーザーの反応は?
URL 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150224-00000034-rcdc-cn

引用:
報道によると、皇太子さまは23日の55歳の誕生日を迎えられるに先立って行われた記者会見で、戦後70年を迎えたことについて、「私自身、戦後生まれであり、戦争を体験しておりませんが、戦争の記憶が薄れようとしている今日、謙虚に過去を振り返るとともに、戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切であると考えています」と述べられた。

これに対して、中国のネットユーザーからは以下のようなコメントが寄せられている。

「皇太子さんは素晴らしい」
「賢明な君主が人の上に立つべきだ」
「これぞ責任」

「こんなに堂々と総理大臣に異を唱えていいのか?」
「中国や世界の人々に対する罪を認めてください!」
「皇太子はよく分かっている人。安倍は早晩、日本に災いをもたらす」
:引用終了

☆NBCテレビ World War II Should Not Be Forgotten, Japan's Prince Naruhito Says
URL 
http://www.nbcnews.com/news/world/world-war-ii-should-not-be-forgotten-japans-prince-naruhito-n311561




☆皇太子さま 55歳の誕生日 戦後70年平和への思い(15/02/23)
 









弁護士 中村憲昭 @nakanori930       
皇太子様も平和について言及。平和憲法を国民自身が捨てようとしていることに対しての警句。
 
 


転載元: 幸せの青い鳥

呆れてモノが言えないけど…

呆れてモノが言えないけど…

政府、自衛隊法の改正方針示す 邦人救出を可能に (朝日デジタル 2月27日)

政府は27日、安全保障法制をめぐる与党協議で、自衛隊を派遣して海外でテロなどに巻き込まれた邦人を救出できるよう、自衛隊法を改正する方針を示した。現行の自衛隊法は、救出された邦人の輸送までは認めている。自衛隊の活動の幅をさらに広げ、救出そのものも可能とする考えだ。

昨年7月の閣議決定では領域国の同意があり、領域国政府の権力が維持されている範囲で、警察的な活動に限って救出活動ができるよう法整備を進めることが盛り込まれた。また、武力行使に当たらぬよう、自衛隊が武器を使う相手については「国家または国家に準ずる組織」ではないことを条件とした。~
この「トンデモ方針」に関しては、ぼく、もう、呆れすぎてモノが言えないので

代わりにひとさまのtweetを挙げておきます…
まず晋三は首相としての自分の立場で、日本国内で外国人が人質にとられる事件が起きたときに、その国の軍隊が日本国内で作戦を展開することを認めるのかどうかということを考えるべきだ。これはまさに一笑に付すべき事態ではないだろうか。

っていうかね、邦人を拘束してた「テロリスト」は

日本政府が(対立する側に)「お金を出す」って言うただけで、人質を殺したんですから

(人質救出のために)「軍隊を出す」って言うたら

人質は速攻で殺されてしまうやないですか…


そやからね、これは、人質を救うのが目的ではなくて、

「自衛隊を海外に出す(海外で実力行使させる)」ことが目的の相談してるんですよ

つまり、政府自民党がしてるのは

「海外で拘束された邦人を救出するにはどうしたらいいか」…ということに頭をひねってるんではなくて

「どないしたら自衛隊を海外に出せるか」…ということに頭をひねってるだけなので

そこんとこは決して勘違いしないようにして下さいませ





※ちなみに、日本政府(与党自民党)は、

日本人の人質を救う気なんかまったくなかった…ということを正直に白状してますので、

それも忘れずにお願いします…

(ひとさまのtweetから…↓)

【邦人人質事件】菅官房長官 イスラム国と交渉する気は「全くなかった」 http://news.livedoor.com/article/detail/9741984/ … また、身代金を用意していたかについて問われると「それは全くない。100%ない」と明確に否定した。

遺体引き取りは困難=菅官房長官 http://www.jiji.com/jc/zc?k=201502/2015020200529&g=pol … 「遺体の引き渡しを求めイスラム国と接触する可能性についても「ない」と述べた」 これは酷い。尽力する、可能性を探る、くらい言えないものか。


転載元: mimiの日々是好日

岩合さんスコットランドの庭園の猫と庭師

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↑はキフツゲイトコート訪問した時に撮影した黒猫さん、
話しかけるとまるで案内するように移動しては立ち止まってくれました

↓リボンの目力



ご覧になられましたか、2月20日BS岩合さんのスコットランドの猫、

庭園の庭師ポールさんについて廻る飼い猫、赤やピンクの薔薇の前でポーズ!

一輪車に乗せてもらったり、最後は綿毛が舞うなか、
庭師さんの声のほうに飛んでいく黒ネコちゃんフロド。

優しい飼い主さんを頼ってるんですね。

岩合さんが「フロドはポールさんがいる所では落ち着いているのにポールさんがいなくなると急にシャイになる」と、なんだかうるうるしそう。

お母さん猫に続いて川をわたる子猫ちゃんや猫の目の美しさ、
黒猫が振り返って見せる目の輝き!

私もうちの猫の横から見る球形のガラスのような美しさに見とれることがあります。



猫は手脚、背中、頭、パーツも美しく…




スペインアルハンブラ宮殿で出会った猫ちゃん




サクランボにパンチするダブル


ママのスリスリ動画






↓ローマ、コロッセウムで出会った猫


追記 スコットランドの薔薇は凄く大きいそうです。
ロンドンのクイーンメアリーズガーデンズのバラも大きくて思わずあなたはなんて大きいのと言うぐらいでした。

スコットランドは寒いのに。日本の蒸し暑い我が家では過酷でしょうね。
今日の庭は凍えるほど寒いけど。

澤地久枝元軍国少女だから…と100年インタビュー



NHKの100年インタビューを観ました。
50台になってから着物を着るようになったという澤地さん、
お母様には着せてあげられなかったと。
長女だからなのかな。私は母の服を着ていることが多いです。

母が買ったものは質が良くて飽きません。
私の安物の服は母のパジャマ以下です。

澤地さんの講演会でも素敵なお着物姿を拝見しました。



真下貴さんが澤地さんのお宅を訪問、
澤地さん宅初めて観ました!

白いおうち、アトリエも見せてもらいました。

澤地さんの祖母の話は初めて伺いました。

あの時代の女性は良く労働していました。

私の祖母も、友人の祖母はその当時女子大に通っていたと言うから大違いです。

澤地さんは満州からの引き揚げ者だから戦争の悲惨さ、
国に捨てられる庶民の悲劇はよくご存じです。

枯れ木のようなものが運ばれていくと思ったら日本人の死体でした。

衣類は他の人が着るからはぎとられていて。

ロシア人に踏みこまれたこともあった澤地さん、

髪は自分でハサミで切っていました。

何とかお母さんと撃退。

お母さんのことを非国民と言ったこともあるけど。

そういう教育受けたということです。

今でもヘイトスピーチやってる人は自分で深く考えてはいないのでしょう。

引用です。
ノンフィクション作家の澤地久枝さん(83)は、1月14日、都内の日本記者クラブにいた。特定秘密保護法案の廃止と安倍政権の退陣を求めての「マスコミ9条の会」などによる会見に、発起人の1人として登壇。決意を語る口調は激しかった。「私は、どんな所にでももぐり込んで、(極秘情報を)取ってくる覚悟です。捕まるなら最初の囚人になります」。
 
『妻たちの二・二六事件』や、新聞記者が沖縄返還の密約を暴いた事件に迫った『密約外務省機密漏洩事件』などの著書もあり、国家が情報を独占する恐ろしさを知り尽くしている。そして、少女期の戦争体験も。そんな澤地さんには、危険な要素を含む法律がなしくずしに成立していく日本の現況が、戦争に邁進していく時代と重なって見える。いや、むしろ今のほうが悪い、と憤る。
 
「安倍内閣が約1年前に発足して以来、こんなにひどい政治は、私が80数年生きてきた歳月のなかでかつてないと思いました。そして、特定秘密保護法の成立。あの法律は今や、この社会にあるんです」
 
1930(昭和5)年、東京で生まれた澤地さんは4歳のとき、一家で満州に渡った。父は満鉄に勤めて、社宅に入り、中流の暮らしになった。’39年のノモンハン事件後、担任の出征を見送った。’42年、シンガポール陥落。
 
「吉林市の講堂では大祝賀会がありました。3人の少女が代表で軍歌を歌ったんですが、恥ずかしい話、その1人が私でした。〈この一戦、なにがなんでも、やりぬくぞ〉〈立つやたちまち撃滅の〉と――。今の方は肌でわからない感覚でしょう。私は軍歌をよく知っていたんです。なぜか。予科練に言って、死ななければと思っていたから」
 
予科練とは海軍飛行予科練習生のことで、女子は入れないのだが。一方、異国の地での悲惨な別れも経験した。
 
「上の弟が’40年に数えの3歳で、下の弟が’44年に生後7カ月で死にました。赤痢、チフスなど伝染病も多かったんです。弟の死は悲しくて、夢遊病になってしまうほどでした」
 
やがて、社宅のまわりの有刺鉄線や郵便ポストまで軍に供出されていくさまを見て、母が呟いた。「この戦争は負けるわね」。10代の澤地さんは、こう応じたという。「母ちゃん、非国民ね」。
 
’45年早々、校内は無炊飯梱包作業の工場になる。
 
「ご飯に水をかけ瞬間的に凍らせ乾かす。水をかけるとご飯に戻る。孤島の兵士に送るため、ゴミを取り除いて一食ずつ梱包する厳しい作業でした。つづけて6月から開拓団に住み込み。ついで学校の講堂で陸軍三等看護婦見習い。学徒動員です。ソ連参戦で学校は野戦病院になりました。女学生の戦争協力の裏には、若い軍医や衛生兵への思慕があり、みんな軍国少女に仕上がったと思います」
 
そして終戦。澤地さんは、母方の叔父一家の壮絶な最期を知らされる。
 
「叔父は家具職人出でしたが、敗戦直後の8月19日、ソ連兵に追いつめられた末に、北朝鮮で妻子とともにダイナマイトを抱えて一家自決したんです。人を愛して、義父から『職人風情に娘はやれない』と言われて、徴兵検査で兵隊になり、仕方なく軍人になった人でした。どうしてそこまで戦争は人をおいつめるのか。これも戦争を思うときの強烈な原体験といえますね」
 
いつも戦争の犠牲になるのは、無名の人だった。ダイナマイトを抱えて死んだ叔父一家。帰国後にガラス拾いをして夜の町を歩いた両親。軍歌で見送った兵士たち。
 
「それから、軍国少女であった自分。いかに無恥であったことか。現在、若い女性たちが、すでに私のようになってしまっているかもしれない。アメリカ、中国、ロシアという大国があって、明日徴兵制がきてもおかしくはない国になりつつある日本。昔ながらの国の考え方ではなく、話し合いでいきます、と再出発したのが戦後日本のはずなんです。ぜひ、お母さんたちに聞いてみたい。『今の世の中に不安はありませんか』と。『原発もこのまま、子や孫に引き継ぐことに、ためらいはありませんか』と」




私の愛読書「人間の条件」(6本の映画も)や小田実とも関係が深かった澤地さん、一時著作も続けて読みました。

特に感銘受けたのが「烙印の女たち」「妻たちの二・二六事」2「密約」

ご自身の恋愛を描いた『遊色 過ぎにし愛の終章』はドキドキして。

引用です。
時期を同じくして持病の心臓疾患が再発し、辛酸をなめた。
その後、五味川純平の資料助手として『戦争と人間』の脚注を担当。1972年の『妻たちの二・二六事件』以後、本格的に執筆を開始し、『密約』(原案は西山事件)、『烙印の女たち』、『あなたに似たひと』、『昭和・遠い日近いひと』、『わが人生の案内人』、『道づれは好奇心』などを執筆。
作家として戦争で亡くなった“無名の人々の死”を見つめ、“平和の尊さ”を訴え続けてきた澤地久枝さん。激動の昭和を生き抜いた澤地さんに戦後70年の思いをうかがう。

『妻たちの二・二六事件』『滄海(うみ)よ眠れ』『記録 ミッドウェー海戦』『密約』。ノンフィクション作家として、“無名の人々の生と死”を見つめ、昭和史の証言を書き続けてきた澤地久枝さん。この10年は、大江健三郎さんらと立ち上げた「九条の会」の活動に力を入れ、“平和の尊さ”を訴え続けている。戦後70年。激動の昭和を生き抜いてきた澤地さんは、節目の年に何を想うのか。平和のバトンをつなぐメッセージを聴く。

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動画猫が来て その4

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以前は猫動画をUPしていたのですが今はなぜか出来ません。
良かったらご覧ください。
バラの葉バリバリ食べる猫↓



パパを撃退するダブル↓




パパ猫がママ猫にちょっかい出すと…

子供もも手術しているので怒ります。




子猫時代のパパとママ



























ツンデレブランはこのバラ水は私の物と冷たい視線
 
この後パパ猫にパンチ!
 





『レ・ミゼラブル』うら話満載!





萩尾さんは雑誌ミュージカルでおなじみの先生、ミュージカル映画もお詳しい。
以前著作「レ・ミゼラブルの100人」も買いました。

私がミュージカルの世界にどっぷりとはまった作品『レ・ミゼラブル』

おまけにロンドンまで行ってしまった。

日本の劇場と違い幅せまく臨場感にあふれていた。
外観はとんでもなく立派なオペラ劇場。
道はまっすぐでないのでわかりにくい劇場もありました。

最初に見たのは日本人による今では伝説の舞台

原作の翻訳文庫5冊中約1冊分を30分で見せてしまうのであっと言う間。一幕の終わりには感動的なピープルズソング。

呆然とするぐらいのハイスピード、見たことのない大きなバリケードの舞台装置、緊張感、降り注ぐ神のような照明、驚愕の音楽、CDもテープも販売されていなかった。あの音楽をもう一度聴きたいと
次の公演地大阪まで追っかけた。

名古屋ではもうチケットが取れなかったのです。
  


引用です。

ほぼ30年前の1985年10月。ロンドンのバービカン・シアターの客席に東宝の演劇プロデューサーたちの姿があった。そう、数日前に初日の幕を開けた新作ミュージカル『レ・ミゼラブル』を見に来たのだ。
「これは、もう日本で上演せねば!」。見始めてまもなく、プロデューサーたちは思い定める。幕が開いて30分後、「一日の終わりに」のナンバーが始まった途端に震えるほどの興奮を覚え、一気にそんな思いに至ったという。仮釈放されたジャン・バルジャンが、司教に救われたのちに市長になったモントルイユ・シュール・メールの冒頭シーン。原作の翻訳文庫5冊中約1冊分を30分で見せてしまった、その辺りである。
ミュージカル『レ・ミゼラブル』が最初に生まれたのは80年のパリ。アラン・ブーブリル作詞・脚本、クロード=ミッシェル・シェーンベルク作曲・脚本による新作で、パリ市内のパレ・デ・スポールで期間限定公演されたものだ。もっとも、当時のフランスはミュージカル不毛の地で、一部で話題になったきりだった。上演版のレコードを聴いたイギリスの辣腕プロデューサー、キャメロン・マッキントッシュが、音楽に感動したところから、ミュージカル『レ・ミゼラブル』のやがて世界へ向かう旅が始まる。
マッキントッシュは、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)の演出家トレバー・ナンに作品の練り直しを依頼。ナンは、やはりRSCの演出家ジョン・ケアードと共にRSC全体を巻き込んで、新たな作品作りに取りかかった。商業演劇の大物プロデユーサーと、「王立」の名を冠した、つまり国の劇団とがタッグを組んだ、きわめて稀なケースでもあった。新作『レ・ミゼラブル』は85年10月8日に世界初演の幕を開ける。





そのマッキントッシュに、東宝のプロデューサーは早速『レ・ミゼラブル』翻訳上演の交渉を始める。実は当初、東宝は別の作品の翻訳上演交渉を予定していたのだが、『レ・ミゼラブル』の舞台に感銘を受けたプロデューサーたちの提言で急遽変更になったのだった。それほど『レミゼ』のインパクトは強く、プロデューサーの1人は東宝本社に連絡して版権交渉のため無期限でロンドンに居続ける許可まで得たほどであった。
ほぼ半年後、86年が明けて数か月。前代未聞の驚くべき一面広告が新聞を飾る。『レ・ミゼラブル』キャスト・オーディションの広告である。ジャン・バルジャン、ジャベール、マリウス、コゼットなどなど主要キャストのキャラクター説明と声域などを記した、全キャスト・オープン・オーディションの広告だ。

 86年の前半は、どのミュージカルの稽古場でも、『レミゼ』オーディションの話題で沸いていたものだ。翻訳ミュージカル経験が多く、海外のミュージカル事情に詳しい俳優たちにはオーディションは抵抗なく受け入れられ、歓迎もされた。けれど、一方では抵抗もあった。プロデューサーたちは、それぞれの役にふさわしいと思える実績や名前のある俳優たちをピックアップし、個別に訪ねてはオーディションを受けてくれるよう説得して回ったのだった。




  ロンドンのスタッフを交えたオーディションが続き、やがて初演キャストが発表されたのは、帝劇初演のほとんど1年前のことだ。そのキャスティングにもまた、驚きの「初めて」があった。ジャン・バルジャンとジャベールを鹿賀丈史と滝田栄が交互で演じるというものである。どちらも物語の芯を牽引する役にして、いわば表裏を構成するキャラクター。それを交互で、という、これまた前代未聞のキャスティングであった。

急いで他のキャストも挙げておこう。テナルディエ夫妻に斎藤晴彦と鳳蘭。コゼットに斉藤由貴、マリウスに野口五郎、ファンテーヌに岩崎宏美、エポニーヌに島田歌穂、アンジョルラスに内田直哉。またアンサンブルには安求、田代隆秀、荒井洸子、藤田朋子ら。
大河ドラマの主演スターから人気アイドル女優、元宝塚トップスターからアングラ系のベテラン俳優、歌謡曲からオペラの歌手、さらに学生まで多彩な人材が集まった。開幕まで1年。『レ・ミゼラブル』は「初めて」ずくめの歩みを、さらに進めていく。

続く



クミコさんもアンサンブルで出ていたとは、最近知りました。
しかも焼き肉食べて水泳した後で舞台に出たので舞台上で寝てしまったとか。
パリに行ったとき偶然新バージョンのレ・ミゼ観ましたがあのバリケードなくなっていたし映画版が見事なのでもう見ません。

大浦さんも岡さんも出ないし…滝田・鹿賀・島田歌穂が出ていたのが懐かしい。


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22日午前9:05頃、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前で起こったこと


alfmomさんの記事です。私たちも逮捕されたと同じ…記事を是非ご覧ください。民主主義弾圧です。
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ニューハートピア温泉 ホテル長島 .のお雛様・ランチ

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グラウンドゴルフのお客さんが一杯。

レストランにも続々つめかけて、元気良い方たち




何か抱いてます。



琴や貝合わせも~

特にごちそうではないのですが。

温泉とランチセットにすればよかったのに。



桑名に近いのでハマグリの釜飯




大須の煮魚料理

圧力なべで煮ているのか頭も骨も完食出来ます。800円



海鮮丼



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