ノリタケの森と徳川園など


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
左、ノリタケの森の噴水、後ろに昔の赤れんがの工場が見えます。
近くにはやはり赤煉瓦のトヨタテクノミュージアム産業技術記念館.もあります。
 
右は徳川園の
 龍門の瀧
鯉が滝を登りきって竜となったという伝説に基づいている瀧。
尾張藩江戸下屋敷にあった滝の石を使用して再現。

 
一昨日NHKBS美の壺で私の大好きな噴水を紹介していました!
 
夏空に高く水を噴き上げる光景が涼しさを誘う「噴水」。自然にわき出る泉をルーツに持つ噴水は、町にあって五感で水を感じて楽しむことのできる安らぎの空間だ。日本では明治以降、博覧会が開かれるたびに噴水が人寄せとして作られ、全国に急速に広まった。江戸末期に作られた日本最古の噴水や、明治時代に作られた噴水の意匠に秘められた謎、彫刻家イサム・ノグチが手掛けた究極の噴水など、噴水の奥深い魅力に迫る。
 
抽選で当たらないと見学できない迎賓館の噴水から最後にイサム・ノグチ海の噴水
 
 
日本で最初の噴水がある兼六園の街から友人が来てくれましたので車で名古屋を走りました。

彼女はあなたとゆっくりしゃべりたいというので(私のようにふらふらあちこち見て歩きたいというわけでない堅実な彼女、オールドノリタケも興味なく無料の施設だけ見学。ノリタケは全国的に有名かと思っていたら、彼女は九谷焼きや輪島塗の世界にいるのです。)まず駅に近いノリタケの森へ、ギャラリーなどを見学しその近くのアンティーク屋さんへ。
 

 



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
名古屋城、レトロな市役所、県庁、貞奴の屋敷は車の中から見てもらい徳川園へ回りました。

ここも美の壺で紹介された大名庭園です。

名古屋城の東に尾張藩第2代藩主光友が自らの隠居所として大曽根屋敷を造営。大空襲でほとんどが焼けてしまいましたが再整備して2004年に開園。

蓬左文庫、徳川美術館(源氏物語絵巻、千代姫の雛人形、嫁入り道具が有名)の隣です。春の牡丹は見事です。
 
右は庭園内の茶室、苔が綺麗でした。
 
ノリタケも徳川園も昔は無料で見学できました。
 
当時はオールドノリタケのポストカードセットまで頂きました。
 
ノリタケでバイトしてオーブンを購入しお菓子作りに励んだこともあります。
 
 
 
今回こそ、徳川園のレストランでランチしようと思ったのですが、彼女は先にノリタケへというのでカレーセットを頂きました。
 
娘さんのためにノリタケの食器を購入されました。
 
若い人はほとんど食器も買わないのだそうです。
 




 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
徳川園でお茶しました。ケーキセットはもうショートケーキだけなので、もう一つはサンドイッチにしました。
 
左はお茶した、お屋敷の掛け軸、お庭を見ながら。
 

左の建物はレストラン
 
 
 
 
 
マシな画像は上をクリックしてください。



松重閘門とレトロな市役所・県庁

友人は兼六園はこんな高低差はないと、緑の中の散歩を喜んでくれてよかったです。
ノリタケの森には無料のギャラリー、恐竜などもあり長時間いても退屈しません。
 
朝から夕方まで話が弾みました。
今年うん十年ぶりで春に再会、紅塩麹ランチと屋上庭園
これで二回会えましたが9月にも会えそうで楽しみです。
 
友人からはさすが加賀百万石、お上品な水ようかん頂きました。別のカメラで写したしたのでまた紹介させてくださいね。
 
徳川園ガーデンレストラン、夜景と豪華な食事がHPでご覧になれます。
 
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いわさきちひろ映画と非国民、国賊の言葉が突き刺さる「汚れた心」

 
 
 
よくこのような映画を作ってくれました。愚かで狂信的な人間は今でもいます。
日本人だけでもなく過去のことでもありません。
非国民、国賊の言葉が突き刺さる「汚れた心」
見るのは辛いかもしれませんがこの事実を知って欲しい。
この映画だけで帰宅するのはちょっと辛く同じ映画館で次にいわさきちひろの映画を上映しているのでこれも観ました。
ちょうど芸術新潮のちひろ特集を読んでいます。
戦火の中の子供たちと著作権問題に取り組んだ彼女の功績は大きいです
 
あのにじみをどのようにして描くのかのシュミレーションも興味深い。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
あの強い眼差しの母とくったくのない幼子の絵が何よりも戦争の酷さを訴えています。
 
不幸な最初の結婚
 
生活のため生まれたばかりの猛さんと別れて暮らしたちひろさん、
 
 

「汚れた心」に戻って
『善き人』のヴィセンテ・アモリンが監督を務め、フェルナンド・モライス原作のノンフィクションを映画化した衝撃作。およそ70年前に、戦後ブラジルの日系移民社会で起き ­た驚がくの歴史に焦点を絞る。主人公に『築地魚河岸三代目』の伊原剛志、その妻を『CUT』の常盤貴子が熱演するほか、余貴美子や奥田瑛二らも豪華共演を果たす。長い間タ ­ブー視され、闇に葬られてきた真実に基づく陰惨な物語に言葉をなくす。
8月15日。太陽が沈み、地球の裏側でもう一つの戦争が始まった

戦後70年近くの時を経て光があてられた
ブラジル日系移民社会の衝撃的な真実

第二次世界大戦後のブラジル。そこに住む日系移民の大半は、日本が戦争に勝ったと信じ切っていた。当時のブラジルと日本は国交が断たれており、移民たちが日本に関する正確な情報を入手することは極めて困難だったのだ。そのさなか日系人コミュニティの精神的リーダーである元日本帝国陸軍の大佐ワタナベ(奥田瑛二)は、大和魂の名のもとに裏切りものの粛清に乗り出す。ワタナベの一派が標的にしたのは、日本が降伏したという事実を受け入れた同胞たち。ワタナベによって刺客に仕立てられた写真館の店主タカハシ(伊原剛志)は、血生臭い抗争の中で心身共に傷つき、妻ミユキ(常盤貴子)との愛さえも引き裂かれていくのだった…。

“勝ち組”と“負け組”に分断された移民同士の抗争、
傷ついた愛と誇りの物語

あらゆる情報がプロパガンダめいたデマではないかという疑心暗鬼が広まるなか、日本の戦争勝利を断固として唱え続ける“勝ち組”の勢力は、それを信じようとしなかった“負け組”の人々を“汚れた心を持つ国賊”と断罪し、ブラジル各地の日系人社会で襲撃事件を引き起こしていった。ごく平凡な男タカハシと妻ミユキがたどる痛切な運命を軸に、その背景となった歴史の真実をあぶり出す。遠い祖国への愛が狂信的な言動へと歪められていく戦争の不条理、さらには抑圧、不寛容、差別といった現代に通じる問題をはらんだ壮絶な物語は、全編を貫くサスペンスとい相まって観る者をスクリーンに釘づけにする。はたして過酷な極限状況に陥ったとき、人は何を信じ、何を心のよりどころにすべきなのか。登場人物それぞれの葛藤をエモーショナルに探究した映像世界は、そんな痛切にして複雑な問いを投げかけてくる。

日本語のセリフが大半を占めるブラジル映画、
その画期的な企画に集結した名優たち

主役タカハシには巨匠クリント・イーストウッド監督作『硫黄島からの手紙』での好演が忘れがたい伊原剛志。本作でプンタデルエステ国際映画祭で日本人初の主演男優賞に輝いた。タカハシの妻ミユキにはアミール・ナデリ監督作品『CUT』などで新境地に挑み続ける常盤貴子。幾多の名作に出演し、監督としても活躍する奥田瑛二が粛清を扇動する退役軍人ワタナベ役で圧倒的存在感を発揮。また、『おくりびと』の余貴美子、『ロストクライム―閃光―』の菅田俊が否応なく粛清の過中に巻き込まれる夫婦を力強く演じている。監督は『善き人』のヴィセンテ・アモリン。欧米での長い滞在経験を持つ気鋭監督の“外国人の眼差し”がこの物語にフラットな視点を与えている。そして『踊る大捜査線』シリーズなどで名高い作曲家、松本晃彦が音楽を担当し、今、最も注目される美貌のヴァイオリニスト、宮本笑里が胸に迫る演奏を披露。ブラジルと日本の才能たちが親密なコラボレーションを実現さえた画期的な映画がここに誕生した。

お屋敷街の昭和美術館

お屋敷街の美術館昭和美術館
 
山本美香さんの悲しい事件や韓国、中国との危うい事件も起きていますが、争いたくないです、しばし静寂な空間をご覧いただけたら幸いです。
 

 
7月6日に漆の魅力展を見学しました。
漆を使い美しく装飾された道具は古くから日本の暮らしを彩ってきました。その湿度のある艶と、虹色の貝を嵌め込んだ螺鈿、金・銀を使い様々な技を使い作られたきらめく蒔絵。
漆を用いて作られた品は精緻を極めた技の結集であり、深みのある艶やしっとりとした光沢は見る者を別世界へと誘います。漆を用いた茶入、香合など手に馴染み使い易く独特の質感は茶の湯に適った道具としても愛用されています。
きらめく作品を通して雅びの世界を感じていただきたいと思います。
 

 
 

昭和美術館
〒466-0837 愛知県名古屋市昭和区汐見町4-1

当美術館は名古屋の南東、八事にほど近い地に昭和53年に設立致しました。
館蔵品である茶道具の展示、茶室の公開をしております。

2200坪の敷地内には池を中心に3つの茶室が点在し、その1つには愛知県指定有形文化財である捻駕籠(ねじかご)の席がございます。
捻駕籠の席は、現在も名古屋を流れる堀川の東岸に、尾張藩の家老で裏千家11世玄々斎の実兄、渡辺兵庫規綱(又日庵(ゆうじつあん))の別邸として江戸時代後期に建てられた邸宅内の茶室です。
その茶室、捻駕籠の席と書院が、昭和10年に現在の地に移築されました。茶室の内部のご見学には予約をお願いしております
 

二ヶ月近くも時がたち、メモもカタログもないので忘れてしまいました
 
5月の連休にはお抹茶がふるまわれたそうです。
 
小さい漆の凝った小箱等が見事でした。
デルフト焼きの花器はレプリカが売られています。
デルフト焼きは好きなので欲しいぐらいです。
常設のお茶道具なども見ごたえあります。
 

左 後藤報恩会 初代理事長後藤幸三翁  
 
後藤報恩会  設立者後藤安太郎
 

美術館の裏からはこの庭園に出られます。まさか、こんな池やお茶室が3つもあるとは。

 

 

 
 

 
 

 
砂雪隠、飾り雪隠とも言われます。実際に使用するものではありません。

 

 
 

 
美術館の周囲にはマンションや洋風の豪邸もありますが三階建ての和風建築や蔵のあるお屋敷も。
 
付近には
江戸時代の景勝地があります。
檀渓橋です。橋のたもとにはかつてここが景勝地だったという「檀渓之勝蹟」の碑が残されています。山崎川はこの檀渓橋から急に湾曲していて、水・崖・樹木が作りだす風景が見事でした。栄3丁目のナディアパーク南にある白林禅寺の檀渓和尚がこの地に庵を結んで、その景色を楽しんだと言われています。「尾張名所図会」という江戸末期にまとめられた書物に、「川名川の下流にして深淵なり。この辺十五軒屋と呼ぶ地より新豊寺山へ至る道にて土橋を架し樋を伏せて幽邃いふばかりなり」という記述にて景勝地であることが紹介されています。
 
この「檀渓之勝蹟」の碑は空襲で割られてしまったのですが地元の方たちが再建。
 
南に行けば桜並木で有名な山崎川の辺に大正時代の豪商の山荘として 建てられた「東山荘」があります。庭園や茶室、ステンドグラスのある洋館もあります。
 
東山荘の紅葉の時も綺麗で前にUPしました。
 
 

ドキュメンタリー新猿之助誕生


 
 
不十分ですが目が覚めて眠れなくなってしまいましたので。
ドキュメンタリー新猿之助誕生の特番
家族で見入ってしまいました。
歌舞伎の大名跡・市川猿之助の襲名披露興行が、東京・新橋演舞場で盛大に行われた。受け継いだのは先代のおい・市川亀治郎(36歳)。同時に先代猿之助は猿翁を、亀治郎のいとこの俳優・香川照之は市川中車を襲名。さらに香川の長男が市川團子で初舞台という華々しい興行となった。革命児と称された先代の名を受け継ぐ亀治郎の覚悟とは? 福山雅治などの応援を得て駆け抜けた、新猿之助の300日間のドキュメント。
 
 
以前中日劇場の三国志だったかで本水浴びて立ち回りしている姿が焼きついていますが、少年時代からやはり踊りも上手い!
 
黒塚などもお若いから、私が観た先代の猿之助よりパワフル~。
 
蜷川演出の十二夜の麻阿も歌舞伎チャンネルで観ただけですが、面白かったのなんのって、ロンドン公演なんて最高だったでしょうね。
 
大河ドラマの信玄と同一人物とは思えませんよね。
 
 
画像はさすが澤瀉屋のポスターで、宙乗り♪
 
この撮影風景も見られました。
 
歌舞伎役者は過酷です、数日の稽古で、一ヶ月の昼夜公演。
 
襲名ともなると
 
気合がちがいます。
 
ぴかちゅうさんのように初日をご覧になった幸運な方も。
 
福山雅治さん提供の幕を見たときも興奮してしまいました。
 
市川中車を襲名した香川照之は海外の映画にも出演するほどの演技派。
 
大河ドラマでもおなじみ。
 
出発は遅くとも勇気ある行動に拍手する方は多いでしょう。
 
キネ旬のエッセイも愛読していました。
 
父猿之助に拒絶されたこともありましたけど
 
今、猿翁の後見する姿を見ただけで(;_;)
 
右近さんも今まで精進されてきたのでこれからも応援したい
右近さんたちの面白い!二十一世紀歌舞伎組新・水滸伝
 

鎌仲監督映画と小出先生その他


猿投♨に咲いているパープルの花です、どなたが名前をご存知でしょうか。
京都風の庭園やパワースポットの滝や湖があります。
桔梗、シュウメイキクも咲いていて爽やかです。
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
先日の西さんの映画会、参加しました。
 
私たち、こんなにのんびりしていていいのかしらと思います。
ある福島のお母さんは逃げろと言われても家族が離れ離れになる、経済的にも大変だからそう言われると辛いと。
児玉教授は「お母さん革命」とウルウルされているようでした。
頂いた資料、メモを忘れたのか、ボケボケです。
おまけに今日は風邪か花粉症かで不調です。
 
内部被曝していない日本人なんていない、それでも懸命に生きる、
肥田先生は広島で多くの被爆者を診療して今は94歳!
生き延びられる方はいるのです。子供たちは守らなければ。
一時的な転地療養も効果があると。
 
西日本から送られる野菜などには皆さん、喜ばれています。
 
 
     サヨナラ原発    映画2本上映会
    (A)  福島第一原発~真実と展望 35分
          アーニー・ガンダーセン
    (B)  “内部被ばくを生き抜く”   80分
           鎌仲ひとみ監督の最新作    

医療界取り組み鈍さを指摘 「おかしさ 変わるまで言う」

 ドキュメンタリー映画監督の鎌仲ひとみさん(53)=富山県氷見市出身=が新作「内部被ばくを生き抜く」を公開した。福島第一原発事故で拡散した放射性物質による内部被ばくについて四人の医師にインタビューし、危険性とどう向き合うべきかを問いかける一方、福島県二本松市で幼稚園を運営する僧侶一家の取り組みを通じて、子どもたちの安全を守る方策を探る。 (松岡等)


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鎌仲さんは、広島、長崎の被爆者、湾岸戦争で使われた劣化ウラン弾や米国の核兵器施設周辺に住む住民らに取材した「ヒバクシャ-世界の終わりに」(二〇〇三年)以降、内部被ばくの問題をテーマにしてきた。
 福島の事故後の状況を「敏感な人と、『まあいいか』という人とがいる。その状況を『グラデーション』と呼んでいるが、放射性物質に対する意識が高い人より、低い人のほうが確実に被ばくしている。なめちゃいけない」と語る。
 新作に登場する医師は、広島の被爆者を診察し続けてきた肥田舜太郎さん、チェルノブイリやイラクで医療支援を続ける鎌田實さん(諏訪中央病院名誉院長)、福島で除染に取り組む児玉龍彦さん(東京大アイソトープ総合センター長)、チェルノブイリの小児科医師スモルニコワ・バレンチナさん。
 「内部被ばくについては分かっていない部分が多く、情報が開示されていないことが混乱の要因。予防原則でいえばリスクは避けるべきなのに、低線量について『大丈夫』という。そのおかしさが変わるまで言い続けていくしかない」と鎌仲さん。
 子どもたちの内部被ばく線量の測定で、医師も、ホールボディーカウンターも不足している現状に、医療界の取り組みの鈍さを指摘し、「四人が異端ではなく、真っ当な医師であると受け止めてもらうようにならなければ」と語る。
 自然エネルギーの可能性を探った前作「ミツバチの羽音と地球の回転」など、上映会を通じて脱原発を訴えてきた。それでも福島の事故に原発についての認識を「甘かった。事故が起きるという確信までは持っていなかったし、原発の負の部分を理解してもらえれば、変えていけると考えていた」と。
 一方、上映会で全国を回る中で「『原発は動かすべきではない』という暗黙知がすごく大きくなった。原発なしでもやっていけるという情報が広がっていけばその暗黙知は常識に変わる」とも。「メディアの役割は大きいですよ」
 

 
 
みなさま    西英子です。

今まで正面から取り上げられることのなかった 反原発研究者の問題を
愛敬先生が「学問の自由と知る権利」の問題としてお話されます。
ぜひ ご参加ください。

************************************************
   3.11で問われた 学問の自由と知る権利
   反原発研究者を排除する        
               「原子力ムラ」と「安全神話」
       愛敬浩二 講演会                  *************************************************
日  時:  8月25日(土) 13:30~16:15

場  所:  名古屋市 女性会館 2階 視聴覚室
       (地下鉄名城線 「東別院」1番出口 東へ3分)

講 師:  憲法学者 愛敬浩二(名古屋大学大学院教授)
      
       ー反原発研究者を排除する「原子力ムラ」を解体するー
      最新編著 『3.11と憲法』 日本評論社

主  催: 愛敬浩二講演実行委員会
参加 費: 800円
(参考資料)↓
http://candidejp.com/archives/1495202.html

   愛敬さんの論文を読んで思ったこと。(西英子)
○小出裕章さんと原発研究における学問の不自由
  
  3.11以後、小出さんは多数の著書と講演を通して、これまで
  隠されてきた原発の諸問題を明らかにしてきました。
  小出さんが勤務する京都大学原子炉実験研究所は『大学として
  基礎的な学問をする場』として設立されました。
  原発推進の立場で原子力を研究している人たちは、助教授、教授
  と順調に地位を高めているのに、国の原発政策異議を唱える小出
  さんたち6人の研究者は冷遇されて、ほとんどの人が助手(助教)
  のまま定年を迎えることになります。また東大で原発の危険性を警告
  してきた安斉育郎さんは、長年 助手の地位に止めおかれました。
  愛敬さんは、その異常さを鋭く追及し、「学問の自由は存在するのか」
  と疑問を投げかけています。

○ 「原子力ムラ」と「安全神話」がなぜ解体されないのか

  政府の政策に順応する人びとだけで「原子力ムラ」がつくられ「安全
  神話」が形成されました。その結果 福島の原発事故を引き起こしま
  した。いったん建設された原発の不備を指摘することは、安全神話
  を否定するものとしてタブーとなります。ですから、国も電力会社も
  関係者は一切異議を差しはさまなくなります。
  自分が唱えた「安全神話」に自分自身が縛られるという異常な状態
  になったのです。3.11にそのような事実がたくさん明らかになり
  ました。
  
  原発の安全性に関する情報は公開されることなく、一般市民に知ら
  されることもありませんでした。国民の知る権利は無視されてきました。
  その体質は3.11後も少しも変わっていません。細野環境相は「『原子
  力ムラ』そのものは、一度徹底的になきものにする」と国会で答弁しま
  した。しかし、なぜ原子力規制委員会の委員長候補に、田中俊一と
  いう「原子力ムラ」の人を選んだのでしょうか。




富士山がベランダから見える伊豆畑毛温泉 大仙家


 
7月10日にクレマチスの丘に行き、一泊したのが伊豆畑毛温泉です。
ベランダから見る富士山
夜には富士登山する方のあかりが見えました。
 

 
 この温泉旅館外観はあっさり、反対側の立派な日本家屋に負けていると思ったら

 
 ロビーには格調高くアンティーク家具が一杯で嬉しくなりました。
 

 
 
 

 
 

 
 クレマチスの丘でサラダしか食べなかったのでここでトーストサンドイッチをいただきました。丁寧につくってもらい美味しかった~
 

 


 
 
 

 
 玄関には立派な時計
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 夕食、朝食を頂いたレストラン「遊山」の外観

 
この先、坂を降りたところに陶芸工房が有り体験できます。
 
この旅館は大仙湯と韮山湯の二つの源泉が堪能出来ます。
 
内湯も露店風呂も工夫がされています。
 
湯温が低くじゅっくり湯治ができるように濡れても大丈夫な本も置かれています。
 
畑毛温泉は
古くから温泉が開けていた。伝承では、源頼朝が当温泉で軍馬療養を行ったとされる。
また、江戸時代には「湯塚の湯」という名前で、腫れ物に対する温泉の効能が広く知られていた。寛延年間に湯治が行われたという文章の記録が残る。
与謝野晶子が畑毛温泉を訪れ「湯口より遠く引かれて温泉は 女の熱を失ひしかな」の句を残している。
上林暁が畑毛温泉を訪れた際の様子を『浴泉記』に記している。
昭和37年3月10日 - 厚生省告示第65号により、奈古谷温泉とともに国民保養温泉地に指定。WIKIより
 

 
新派の役者河合武雄像  
館内で河合武雄の舞台写真や遺愛の鏡台等の展示がありました。
ここで吉野作造、武者小路実篤の名前を見るとは!
以下は大仙家HPより
大正期から昭和初期にかけて、作家 武者小路実篤の日向「新しき村」に代表される運動が全国各地で行われ、ここ畑毛に於いても、大正デモクラシーの先駆者吉野作造博士を中心に総面積約2万坪に及ぶ「理想郷構想」が実施されました。
構想実現の為、この理想郷に宿泊施設が必要となり、新派の名優「河合武雄」が吉野博士と同郷の劇作家 真山青果の紹介を受け、大正十年に開業した「榮家旅館」が当館「大仙家」の始まりです。
河合武雄(本名 内山武次郎)は明治10年3月、歌舞伎俳優 5代目大谷馬十の次男として東京築地に生まれました。
明治26年7月(17歳)、横浜鶯座の山口定雄一座で初舞台を踏んだ武雄は天性の容貌と美声に恵まれ立女形の名優として活躍し、昭和17年3月21日、ここ畑毛の地でなくなりました。享年66歳。
武雄は、当時の演劇界において最も舞台映えのする女形を創り上げたと言われ、絶大な人気を博しました。華やかな絢爛さに加え、匂うばかりの妖艶さを備えた女形は、あでやかな緋牡丹の花に例えられ、新派の歴史の中に現在もなお燦然とその名を残しています。
また、美人画の大家 鏑木清方は描く女の絵姿に「河合という女形から大きな影響を受けた」と言わしめさせる程、華のある俳優でした。酒乱の芸妓役では他に追随を許さない独自の妙味を開いたと評され、大正期に入ると伊井蓉峰、喜多村緑郎と共に『新派三頭目』の1人と呼ばれる名優の地位を築きました。


◇『長湯して飽かぬこの湯のぬるき湯に ひたりてやすき心なりけり』
  ・・・若山牧水
◇『心をば破れて鳴らす鼓とし 静かに在りぬ畑毛のひと夜』
 ・・・与謝野鉄幹
◇『浴室の石の床をば湯のぬるく 這いたる伊豆の如月の宿』
 ・・・与謝野晶子
◇『かげろうや おもかげにたつ ひとひとり』 
  『東京の おぼろかなしき こよいかな』
  ・・・傘雨(久保田万太郎)河合への追悼2句
夕食はお腹がはちきれるほど、頂いたらすぐ爆睡してしまいました。
旅館の食事は手術したものには多すぎます。
夕食朝食の写真は又ご覧下さいね。
 
 
 

滋賀県の佐川美術館

 
 

やっと5月26日に訪れた佐川美術館のご紹介です。
 
雑誌和楽で玉三郎丈が紹介していたので一度は行きたかった佐川美術館です。
琵琶湖のほとり、4月に京都の帰りに寄ったらなんと展示かえでお休みでがっくりしました。
反対側からは趣味のよくない建物群も見えてしまいます。
 
この時は京都のヴォーリズ建築駒井家 府立植物園のバラ
京都の新島八重と同志社大学圧巻の赤レンガ建築群!
 
佐川美術館では日本を代表する芸術家である日本画家の平山郁夫氏と彫刻家の佐藤 忠良氏の作品を中心に展示し、さまざまな文化事業を通じて芸術・文化の振興と発展に 少しでも貢献できればと願っております。「継ぎなる道、出会い。」をもとめて、 ...
佐川美術館
〒524-0102 滋賀県守山市水保町北川2891
Phone:077-585-7800 Fax:077-585-7810
開館時間:9時30分〜17時 (最終入館は16時30分迄)
休館日:毎週月曜日(祝日に当たる場合はその翌日)・年末年始
※展示替え等のため臨時休館する場合があります。

 
独創的な茶碗の数々、ただハイヒールで歩かれるとすごく響いて(>_<)
茶室は予約制で入れませんでした(;_;)
佐藤忠良に詳しいNHKアナの講演会も終わったあとでした。
 

 
これほど多くの佐藤作品を一度に見たのは初めてです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
娘の佐藤オリエをモデルにした作品、群馬の人、ブローチ、絵本大きなかぶ、
澤地久枝さんの追悼文が印象的でした。
 

この絵本はご存知の方も多いでしょうね。
 
原画はもっと素晴らしいです、猫の尻尾もまじまじと観てきました。
 
 
 
 
 
 
日曜美術館佐藤忠良
 
佐藤は明治45年1912年宮城県で生まれました。幼い頃父が亡くなり

母は親戚を頼って移り住んだ北海道の炭坑町で針仕事をしながら家族

を支えました。最初画家を目指していたのですが20歳でロダンの

作品集に感銘を受け彫刻家を目指します。苦学の末、22歳で東京美

術学校に入学しました。卒業後彫刻家の道を歩み始めますが、昭和19

年32歳で召集されソビエト国境近い中国東北部に送り込まれました。

1年後敗戦し、捕虜としてシベリアイルクーツクの収容所に抑留され

ました。氷点下30度で強制労働があり枕木一本捕虜一人が死ぬという

過酷な場所で3年間過ごしたそうです。シベリアから帰還したのが

昭和23年でした。ただ生きるだけで精一杯だった中でも優しさを持っ

た人々がいて強さややさしさはどこから来るのか考える日々だったそうです。

帰還から4年後の昭和27年、専門学校の美術講師などで生計を立てて

いた彼に福島県の常磐炭礦を採掘する会社から仕事の依頼がありました。

増産計画を無事故で達成した褒賞金10万円で記念の彫刻を作りたい

という依頼に対し、炭坑で働く父親を見守る母と子の姿を高さ2メー

トルあまりのセメントの像で作りました。この作品は彼と地元の職人が

共同で作ったのだそうです。報奨金だけではブロンズなどの材料費が

足りなかったのでした。そのため彼はセメントを使い地元の人に手伝

ってもらえないかと提案したのでした。大工が骨組みを作り、左官屋が

セメントを塗って、彼はそれを削ったのでした。誰とでも垣根なく付き

合った彼の宿舎には毎晩職人たちが差し入れを手に訪れたそうです
 
晩年の彼は精魂を傾けた作品が仙台市の宮城県立こども病院にあります。

それは入り口にあるレリーフ"おおきなかぶ"です。縦80センチ、

横1メートル70センチの作品です。90歳で制作しました。子供達は

自由に作品に触れることが出来ます。彼が描いた絵本をレリーフにしたの

ですがお爺さん、お婆さん、孫、犬、猫、鼠が大きな株を一緒に協力して

引き抜くという気持ちを忘れて欲しくないとこの絵本を描いたのだそうです。

続きはこちら
 

 
シベリア抑留(過酷な強制労働、日本政府は了承済み!)
 
セメントを使い地元の人に手伝ってもらった作品はほかの方にはないことですね。


 
この日は名神が工事中で第二名神を通りました。
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「茶色の朝」を読んで


 
落合恵子さん推薦の本、病院の待ち時間に読みました。
 
私の手術を担当してくれた外科医は他の患者さんも絶賛、でもCTの結果聞くのに、
1時間半待ちました。
予約の時間は10時半からなのですが患者さんの話をちゃんと聞いてくださるためか、遅れます。
 
このは本はフランスの心理学者で人権運動家であるフランク・パヴロフによる著書、
 
フランスで50万部突破のベストセラーです。選挙も動かしました。
 
 「茶色の朝」。 とある国、国家権力の下、犬や猫も「茶色」以外は抹殺されます。
 
さらに「茶色」的 でない人・物・コトは抑圧され、奪われ、排除されていく。
 
それからしばらく経って、今度は『街の日報』がもう発行されないということを私がシャルリーに教える番だった。彼は
びっくり仰天した。『街の日報』はクリーム入りコーヒーを飲みながら、彼が毎朝開いている新聞だったのだ。
― 彼らが潰れたって? ストライキか、倒産か?
― いや、いや、犬の一件の続きのためだ。
 
もっと抵抗すべきだったのだ。だがどうやって? 連中の動きは実に迅速だったし、私には仕事もあれば日々の暮らしの
悩みもある。他の連中だって、少しばかりの静かな暮らしが欲しくて手を拱いていたんじゃないのか?
誰かがドアを叩いている。明け方のこんな早い時間には今までなかったことだ。日はまだ昇っていない。外はまだ茶色だ。
 
思い出すのは
 
彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』は、ドイツルター派牧師であり反ナチス行動で知られるマルティン・ニーメラーによる
たくさんのバージョンが存在するが、その内容は基本的には、迫害ターゲットグループを徐々に拡大していくナチ党に恐怖を感じつつも、「自分には関係ない」と見て見ぬふりをしていたら、自分がいざそのターゲットとなったときには、社会には声を上げることができる人は誰もいなくなっていた、というもの。自分が属するプロテスタント教会に手が伸びる前に次々と迫害されるターゲットグループとしては、共産主義者社会主義者社会民主主義者)、労働組合員、ユダヤ人障害者カトリック教会、などがあげられる。
強いメッセージ性を持つため、政治への無関心層へ政治への呼びかけとして世界の多くの場所で引用されている。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
最近の朝日に前にUPしたことがある伊丹万作の『戦争責任者の問題』が載りました。
さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知っている範囲ではおれがだましたのだといった人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぽつぽつわからなくなってくる。(中略)
日本人全体が夢中になって互いにだましだまされたりしていたのだろうと思う。

このことは、戦争中の末端行政の現れ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といったような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。(中略)

少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして、連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、誰の記憶にも直ぐ蘇ってくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といったように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であったということはいったい何を意味するのであろうか。(中略)

だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、いっさいの責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘違いしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。(中略)

そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも雑作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己のいっさいをゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかった事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかった事実とまったくその本質を等しくするものである。

そしてこのことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。

それは少なくとも個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。

我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分達の罪を真剣に反省しなかったならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、いっさいの責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである。(後略)映画春秋1946年8月号
 
伊丹 万作(いたみ まんさく、本名:池内義豊1900年1月2日 - 1946年9月21日)は、昭和初期に活躍した映画監督。日本映画の基礎を作った監督の一人である。映画監督、俳優の伊丹十三は実子。小説家大江健三郎は娘婿。
 

 
四海波静    茨木のり子
戦争責任を問われてその人は言った  
そういう言葉のアヤについて  
文学方面はあまり研究していないので  
お答えできかねます
思わず笑いが込上げてどす黒い笑い 吐血のように噴きあげては 止り 
また噴きあげる三才の童子だって笑い出すだろう文学研究果さねば 
あばばばばとも言えないとしたら四つの島笑(えら)ぎに笑(えら)ぎて 
どよもすか三十年に一つのとてつもないブラック・ユーモア
野ざらしのどくろさえかた かた かた と笑ったのに
笑殺どころか頼朝級の野次ひとつ飛ばずどこへ行ったか散じたか
落首狂歌のスピリット四海波静かにて黙々の薄気味わるい群聚と
後白河以来の帝王学無音のままに貼りついてことしも耳すます除夜の鐘   (「ユリイカ・現代詩の実験」1975年12月臨時増刊号より)

 
この詩は尹健次神奈川大学教授の「天皇制と朝鮮」の中で紹介されています。日本人の無責任さを鋭く突いてますね。

 
 
もう一度「茶色の朝」に戻って
強者の論理を振りかざし、外国人や女性や障害者への差別発言を繰り返す政治家
 
が人気を博したりメディアが特定の国への敵意を煽り、その国につながる人々が陰
 
湿な嫌がらせ、暴力、暴言の標的になったり、
 
学校で国旗・国歌への忠誠が強制され反対する先生たちが権力に処分されたり
 
権力による個人情報の一元的管理、盗聴、メディア規制など国民統制を可能とする
 
法律がつぎつぎに成立されたり。
 
「国を守る」戦争のときには国民の人権が制限され一定の犠牲者が出ても
 
という法律が制定されたり…
 
高橋哲哉のメッセージの一部です。
 
アメリカによる名古屋への空襲は60回も有り、軍事産業で働く人々を狙ったものだと、昨日の番組で知りました。
名古屋の道路が広いわけは空襲で中心部が焼かれてしまったからです。

 

 

父娘バトル!


 
昨夜、友人から頂いたマクロビの天ぷらやパンを撮影していたらまた、パパ猫が~
 
娘のダブルの頭を舐め始めて…
 

 
そのうち首や方のあたりを噛み始めます。
 

 
お見苦しいですが、ダブルが怒り始めます
 
 
 
 
 

 
 

 

 
最後はやっぱり(>_<)

友人手作りマクロビ料理とパンと猫


 
昨日、頂いたカマンベールチーズ入のパン、フランス語でfleurs de cerisier桜の形に作って半分も頂いてしまいました。すいません(*^_^*)
 
チーズ入りなのですぐ飛んできたダブルですが夕食後でちょっとたしなめたら不満顔でもおとなしくなりました。
 
 

 
パン作りもマクロビ料理も習っている彼女、昨日はこんな豪華な天ぷらまでいただきました。
 
左上にあるのが椎茸にきびやすりおろし生姜をつめてケシの実かけたボリュームいっぱいのマクロビの天ぷら!
 
玉ねぎの天ぷらやご自宅で育てている水前寺菜、やしそ、オクラもあります!
 
先日は摘果した小さいメロンとナスのぬか漬けをいただきました。
よく浸かって美味しかった♪私もまたぬか漬け再開しなくては。
先日すんき漬けが体に良いと夫がいうので取り寄せました。
 
すんきは、木曽地方で昔から作られている伝統漬物。食塩や砂糖を一切使用せず、植物由来の乳酸菌のみで発酵された、全国でもたいへん珍しい食品
 
売り切れの漬物も有り赤かぶしか買えませんでした。
酸っぱさがもっとあったほうが好みです。
 
ドレッシングや味噌汁、カレーは美味しかったです。(セットで立派すぎる箱入り)
 
漬物だけクール宅急便で来たのでお高くつきました。
 
 
 

これはマリー・アントワネット物語展見た日に頂いたちらし寿司と食用ほおずき
 
チラシは大好物、ほおずきは薄いオレンジ色で乙な味です。初めて食べました。
これも体にいいらしいです。
 

 
マクロビのクッキー、バターも砂糖も使用していないので主食にもなる逸品です。
 
眠そうなブラン、バターがはいっていないせいか無関心
 


焼豚入りパン
 
 
右は玉ねぎ入りだったか、前に頂いてもので
(>_<)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
ウィンナーパン
サワーキヤベツも美味しい♪
 

これはうさぎのお皿が可愛くて。
飯田深雪のアートフラワー、機織り、陶芸もやってきた彼女、尊敬しています。
 
こちらに引っ越さなかったらこのような有難い友人に出会えませんでした。
 
町内会のことで初めてお伺いしたらすぐ上がれと言われて、冷麺までご馳走になったことがあります!
 
今では夫婦ぐるみで美術館やレストランにまで案内していただいていて感謝しています。
美味しいレストランもよくご存知です。
 
北海道のチョコレートで丹頂鶴が二羽飛んでいるチョコレート、めでたいので皆さんが結婚式の引き出物として取り寄せるお菓子も頂いたことがあるのですが写真がうまく撮れませんでした。
 
なんというお菓子だったか、ご存知の方教えてください!
 
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