モリコロパーク(愛・地球博記念公園)の日本庭園

10 /31 2010

ただ今放送中のショパン特集、いいですね♪
何と美しい音楽でしょう。心も洗われるような。

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どこの紅葉?は愛・地球博モリコロパークの日本庭園です。

今、あまり遠くには行けませんので。ここは駐車場代のみ必要です。


久しぶりに気持ちよく散策が出来ました。万博予定地は海上(かいしょ)の森でしたが大鷹もいる里山で反対されてここ長久手に変更されました。小牧長久手の戦いの古戦場近くです。

海上かいしょの森も大好きなスポット、上高地に似ていると言われました。

海上(かいしょ)の森周辺は古墳群もあり、古くから武田信玄の墓があるなどの伝説がある土地である。東海地方にしか植生しないシデコブシをはじめとした貴重な動植物の減少や、絶滅危惧種のオオタカなどへの影響を心配して、万博は時代に逆行するものとして、大規模な反対運動が行われた。

日本庭園に噴き出すミスト、暑い地球博で大活躍していました。今では名古屋市立大学病院の通路にもあります。


トトロのサツキとメイの家は新しく作ったものをわざと古く見せていますが万博の時は見学予約がとれないぐらい人気でした。全国から譲ってと言われたそうです。

ここから7枚は連れ合いの撮影です。


 


 


 


 


お父さんの書斎がいいですね。
居間の戸棚や押し入れの中も当時の洋服や食器で一杯。
よく集めたと感心します。中に入ると撮影禁止。


 
ここから又私の写真です。

 



このような大型の彫刻が池の前に沢山あります。
この先が日本庭園です。








ここにも夢童さんのからくり時計、演奏は東儀さん。



春はポピー、秋はコスモス畑です。

出来たての寄せ植えの一つ、長くなってしまいました。



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隣に遊びに行きたい~

10 /31 2010
 
前回の紅葉については記事作成中ですm(_ _ )m
 
先日又実家から猫のパトロール要請がありましたがそのことは次回に。
 
久しぶりにリボンがベランダの手すりに乗り、隣家へ遊びに行きたいと訴えています。
以前、知らない間にお隣りのベランダに行っていて、自分で帰っていたのです。
パパ猫は行ったはよいが帰れないと鳴いていました。
 
ママ猫は一番器用です。
 
それで隣家に行けないように針金や板で細工してもらいました。
その時のいたずらっぽい顔はこちら
http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/26074556.htmlリボンママの無断外出(苦笑)

http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/26227436.htmlお転婆ママ猫

哀れな薔薇はつる薔薇の下で日光不足になったもので、鉢に移して養生中です。

どこの紅葉?

10 /30 2010

皆様の地域は台風、大丈夫でしょうか。


 













オランジュリー美術館

10 /29 2010


 

パリ二日目(6.2)はロダン美術館・オランジュリー美術館・ポンピドゥー美術館 と無謀なハシゴをして疲労困憊に、すべて徒歩。

しかもサンロックホテルは二泊しかできなかったのでロダン美術館、オルセー美術館あたりで泊まろうとして荷物を引っ張りながら。結局空振りで又ルーブル近くに戻りました。

オランジュリー美術館はチュイルリー公園の一角にあるので行きやすい美術館、ちょうど翌日からの花市?準備していました。これも観たかったのですが、ランスやナンシーに行ってしまったので。

オランジュリー美術館は改装前に一度行ったのですがこんなに並んだ記憶がありません。作品も増えていて見所一杯でした。日本人も多かったです。
日本にもモネの睡蓮はありますがここはさすが部屋中、ぐるーと睡蓮なので壮観です。
ここは撮影OKなので花の絵中心で。




モネの睡蓮もある大山崎山荘美術館は私好みの英国風邸宅と庭園、民芸運動の河井次郎(かわいかんじろう)・濱田庄司(はまだしょうじ)・バーナード・リーチの作品、アンティークオルゴール、カフェもあります。

電車から見える山の上のこの建物全体がいいですね。




2004年にモネの庭に行きました。

















以下は引用です。
1918年、モネは大連作『睡蓮』の国家への寄贈を提案。1926年に86歳で死去する直前までジヴェルニーのアトリエで『睡蓮』に筆を入れつつ、自らの芸術の集大成を飾る美術館の設立を夢見たのでした。
 そして、画家の死の数ヵ月後、チュイルリー公園の一画にオランジュリー美術館が開館しました。モネの構想に基づき、建築家カミーユ・レフェーヴルが手がけたのは、1852年にナポレオン3世が築いた温室(オランジュリー)を改造した建物で、布張りのガラス天井から外光が燦々と降り注ぐ美術館。高さ2m、広さ500m2のふたつの楕円形の間は明るい光に満ち、壁いっぱいに飾られた『睡蓮』が、来館者をきらめく水辺の風景の世界に引き込んでいきました。
2000年に始まった大改装では、オランジュリーがもっともオランジュリーらしかった当時の空間を取り戻すことこそが、最大の目的となりました。キーワードは「光」です。

開館当初のオランジュリーの「光」は、1960年代に行われた改装によって失われてしまいます。展示スペースを拡張するために2階建てに改築され、「睡蓮の間」から自然光が奪われてしまったのです。さらに、ホワイエが壊されて新しい展示スペースへと続く大階段が玄関に設けられたために、「睡蓮の間」へのアクセスが遮断され、美術館全体が回りにくいものとなってしまいました。
 2000年に始まった改装では、美術館からこの60年代の改築の痕跡を消し、モネの構想どおりの「睡蓮の間」が再建されることになりました。まずは、「睡蓮の間」への外光を遮断していた2階部分をすべて取り除く。さらには、玄関の大階段を取り除き、ホワイエを復活させて各展示室へのアクセスを容易にしました。こうして、「睡蓮の間」はガラス張りの天井から自然光が注ぐなかで大連作『睡蓮』の世界を堪能するという、モネが構想したとおりの空間の魅力を取り戻すことに成功しました。2000年に始まったこの改装は、当初の予定以上に長い時間が費やされました。その原因のひとつは、地下への拡張工事を進めていた2003年、16世紀の城壁の遺跡が発見されたことでした。



















セザンヌ、マティス、モディリアーニ、モネ、ピカソ、ルノワール、シスレー、スーティンなどの作品を収蔵している。

1区のコンコルド広場の隣、テュイルリー公園内にセーヌ川に面して建っている。もともとはテュイルリー宮殿のオレンジ温室だったが、1927年、モネの『睡蓮』の連作を収めるために美術館として整備されたのである。

1965年からはフランスに寄贈されたジャン・ヴァルテル&ポール・ギヨームコレクションの散逸を防ぐために保護に当たっている。

1999年8月から改装のため永らく休館が続いていたが2006年5月再オープンした。

母の愛犬の失踪の顛末

10 /27 2010
 

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皆さま、ご心配かけました。ありがとうございます!


 



昨夜御園座千秋楽を友人から招待されて帰る途中、母から電話、散歩中にロングコートチワワ犬が行方不明になったと!
急に寒くなった日でしたが私の御園座の帰りが遅いので母が散歩させると言ってくれたのですが。2005年に新聞に載った時の写真で汚いのですが。

散歩中、あっと言う間に消えてしまい三時間も探し回ったと言います。
もう遅く警察だけには私が届けました。
いくら探してもいない、母は死にそうな顔で…

朝、動物愛護センターやネットの迷い犬に登録したりしても手掛かりがないので諦めかけていた午後一時ごろ、交番から電話!見失った所からは離れるれたところです。

母はきっと連れ去られたのだと言います。でも見かけよりずっと老犬でしかも雄、(皆さんメスに間違えます)一見、おとなしいのですが食べ物、排せつにこだわりが強く母も手こずっている犬です。

来客や煮物の吹きこぼれ、電話など教えてくれますが。




交番の警察官の方々が飼い主が見つかったととても喜んでくださいました。
この笑顔は忘れられないでしょう。

これで彼の失踪歴は三階。最初は母が歯科に行ってる時に後を慕って逃走、探していたら、女性の運転する車に乗っているのを発見。

二回目は母が入院した時、二男に散歩頼んだ時も逃げ出しました。
その時は預かってくれている方から電話がありました。

今回交番に行ったらダンボールの中で覗いていて早く抱いてくれと鳴きました。
お騒がせしました。

写真は散歩途中に遭遇した猫たちです。







この猫さんの後ろの柄が面白いのです。また撮れましたら。

一枚目の猫も風格があるでしょう。

さすが玉様、NEWS23クロスでの御発言!

10 /26 2010


 
ほとんど桔梗様の記事の転載です。(^人^)感謝♪

NEWS23クロスにご出演されたのを後から知りました。
残念ですが今はこういう記事を書いて下さる方があるのでありがたいです。

いま東京赤坂で公演中の昆劇、玉三郎丈は進化されていると評判なのですがもうチケットは完売のようです。元々諦めていましたが。

シネマ歌舞伎と南座の思い出を胸に(≧▽≦)


玉さん「中国から音楽をもらって日本でやることはあるとは思いましたけど
    個人で中国に入ることはまったく想像していなかった。
    初めはやっぱり出来ないと思われていたと思いますし、
    自分も出来ないと思っていました」


玉さん「僕は、中国を理解しようと思って行ってますから。僕を理解してもらおうなんて
    思ってないから。向こうの方たちを理解しようと思っていることは
    中国のかたちにはすぐわかる」


男性アナ「(中国に一人で入って)難しいところは無かったですか?」

玉さん「なかった。。と思いますけど。日本の本音と建前って、
    曖昧なところがあるじゃないですか。建前でやっているうちに
    本音がわからなくなったり。でも、中国の方たちは、ちゃんと
    本音と建前をわかっているんですよ。その辺が、つきあいやすいですよね、僕には」


男性アナ「日本で舞台を作っていくのと、一番違うところは?」


玉さん「この時間にこうしようと言っても、なかなか始まらないんですよ。
    勝手に喋っていたりとか、雑談の中でひとつテーマがでるんですよね
    みんながそのテーマの解釈をそれぞれ論理的に話し合う。
    日本の人たちって雰囲気で喋るじゃないですか、
中国の方たちは
    決定的に論理で、理屈で、起承転結があって結論がありますからね」


男性アナ「中国の今後については」


玉さん「何かを動かそうと思っても、中国は動く国ではないですし
     こうである、ってことを言わなくても、
     歴史のどこの意味に入っているか、ちゃんと解釈しているので
     僕らがあんまり考えることではないんですよね」

男性アナ「どうやって、つきあっていくのが一番いいと思いますか?」


玉さん「徹底的に論理的に喋りながら、飛躍することですね

さらに司会者が続けました。

「玉三郎さんは、こういう言い方をしていました。
中国の方はラテン系に近い。どんなに気不味くても、
食事をしてお酒を飲めば、あとは歌っちゃえばいいじゃないか、と。
さらに、どんなに論理的に話をしても、結論が出なければ、
フッと別のテーマに飛んでいくことができる人たちなんだ、と。
玉三郎さんみたいに、みんなが一緒に飛べるかどうかはわからないけど、、、」

そう言えば、シネマ歌舞伎の中で人口も多い中国で暮らす人々に対し、思いやりのある発現されていました。

又からくり時計

10 /25 2010
 


http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/27393651.html

「天才からくり師の世界展」と美の壺

 
からくり時計が好きで何回もアップしていますが。
 
このからくり時計は日本で最初のせりふ付きからくり人形だそうです。
 
栄には三英傑、信長、秀吉、家康のからくり、大須には徳川宗春、高島屋や万博記念公園、高丘、栄には夢童さんの可愛いフランス人形などの現代的なからくりがあります。
 
 

 http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/31383737.html続サツキとメイの家と日本庭園・からくり時計
http://plaza.rakuten.co.jp/ribon5235/diary/200901050001/

からくりモニュメント シエロ アルペジオ

 
http://plaza.rakuten.co.jp/ribon5235/diary/200901140001/夢童さんのパリっぽいからくり人形

御園座の歴史と顔見世2

10 /24 2010


 

御園座二階にかけられているタペストリー、
明治時代に完成した左右に大きなドームのあるルネッサンス式洋風建築の御園座!

子供の頃当時高いソフト?アイスクリームを御園座で母が祖母と私に買ってくれたことを覚えていますが(自分は食べなかったと母が何度も言うので)
今も名物になっているアイスもなかを買ったことはありませんwww

映画にもよく連れて行ってもらいました。結構、東映、大映の映画の方は覚えています。観劇は学生時代、結婚、子育て時代は遠のいていました。

いつも御園座は休憩が長いのと建物全体が気になっています。

夜の部は休憩を入れて5時間!暑いような寒いような…最後は靴のせいもあるのか膝が~

夜の部は千秋楽を友人が招待してくれると言うのでお芝居の話は次回に。


玲小姐さんは御園座は赤くて派手でいいじゃないと言ってくださいました。

そう言えば以前銀座の劇場で麻美レイの「チャイコフスキー殺人事件」を観た時、シートが黒くてお話も暗いと思ったものでした(苦笑)



 


  



  

地元の尊敬する画家 杉本健吉の緞帳「御園」
五線譜の上に東洋風の笛など演奏する童女とギリシャ風のハープを持った西洋人を配し東西の交流を象徴した作品。









芸どころ名古屋には、当時十四の小屋があった。広小路界隈には、千歳座、音羽座、新守座、中座の四つの小屋があった。
御園座の初代社長、長谷川太兵衛は、明治二十八年、名古屋に一流の劇場を造り、自分の好きなものをかけて、皆と一緒に楽しみたいと決心し、東京、大阪、京都などの劇場を見学して歩いた。数多くある劇場の中で自分の理想とする小屋は、東京の明治座であると思った。明治座を手本として、御園座と名づけられた劇場が完成したのは、明治三十四年の四月であった。 外観は、左右に大きなドームのあるルネッサンス式洋風建築で、正面入口の上には『抱蜻蛉』の座紋が掲げられた。場内は高い天井に大きなシャンデリアがつるされ、客席はすべて桟敷。一階の花道と仮花道の両側が四人詰め、平場が二人詰め、二階に六人詰めの枡席があり、後方に、大入場(自由席)と一幕見があった。枡席の定員は、一階九百六十四人、二階二百五十二人で合計千二百十六人。舞台は間口十間半(十九メートル)、奥行九間(十六・三メートル)。手動式の大小二つの蛇の目回しの回り舞台があった。


堂々たる劇場が、広小路に姿を現した時、人々は驚異の目をみはった。
柿葺興行は五月十七日から二十七日まで行なわれた。出演者は初代市川左団次を筆頭に市川権十郎、坂東八十助(後の七代目三津五郎)などで、演目は「浜真砂蒔絵高島」「鎌倉山鶴朝比奈」「有情恵景清」「御園開花賑」である。朝八時から夜十時までの長時間興行だった。入場料は木戸が一人十三銭、桟敷は二人詰め二円十銭、四人詰め四円二十銭、大入場一人につき三十五銭と二十五銭、一幕見は一人につき五銭から三銭であった。木戸から入った客は、菓子・弁当・すしの三品セットを三十銭で買い、上等の客は芝居茶屋で食事をとる仕組みになっていた。

夜の部

一、舞妓の花宴(しらびょうしはなのえん)
          白拍子和歌妙  時 蔵

二、伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)
  御殿
  床下
            乳人政岡  藤十郎
             沖の井  時 蔵
          荒獅子男之助  翫 雀
            仁木弾正  松 緑
              松島  萬次郎
              八汐  段四郎
             栄御前  田之助

三、新古演劇十種の内 身替座禅(みがわりざぜん)
            山蔭右京  菊五郎
            太郎冠者  亀 蔵
            侍女千枝  松 也
            同 小枝  右 近
           奥方玉の井  翫 雀

四、弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)
  浜松屋見世先の場
  稲瀬川勢揃いの場
         弁天小僧菊之助  菊之助
            南郷力丸  松 緑
            忠信利平  亀三郎
           赤星十三郎  梅 枝
            伜宗之助  右 近
          浜松屋幸兵衛  亀 蔵
            鳶頭清次  権十郎
          日本駄右衛門  團 蔵

続パリのアールヌーヴォ建築

10 /22 2010


 

マルモッタン美術館近くの邸宅の薔薇,アパルトマンかもしれませんが、パリの庭が通行人に見えるところにあるのも珍しいのではないでしょうか。

テレビなどで見ると、建物で遮られた中庭があります。

イギリスの田舎は「さあ、観てください」と言うように素敵な庭ありますが。



 


 

サンロック教会の隣のホテル

(ここは日本語チャンネルテレビを見ることもできて2004年には台風のニュースを観ました、果たして帰国したら薔薇の枝が折れたり乱れたりしていました。ロンドンでは国松孝次警察庁長官の狙撃事件のニュースに驚きました。)が二泊しか出来なくなり、ロダン美術館,オルセー美術館に行きながら探したのですが何軒も断られて、(こんなことは初めてでした)またルーブル近くの別のホテルで二泊まりました。
↓のとお洒落なショーウィンドーの近く。


ここが一番高かったので一泊だけ。
そのホテルの向かい側の建物の飾りが私好みの薔薇♥♥(o→ܫ←o)♫ღ


 



 




 


 
ギマールの事はもっと知りたいのにギマールだけの日本語の本はないようです。
アールヌーヴォ建築の本


 
パリらしい門扉

 

ラジオフランスが工事中、このカフェで一休み。

ラ・フォンティーヌ通りにギマールの作品が集中しているそうですが、私にはわかりにくかったです。それでも代表作カステルベランジェを見つけた時は嬉しかったです。

カフェでステーキみたいに焼き加減をリクエストされましたがどかんと大きなハンバーグがきました。その写真はこちら、大味(苦笑)



 
リュクサンブール公園(土曜日のためかあまりの人出で早々に退散)近くの不思議な建物。中華料理店?郊外からの帰りで疲労のため確かめもせず(苦笑)


 

旭輝黄金鯱(あさひにかがやくきんのしゃちほこ)

10 /21 2010


 



 

今年一月に国立劇場で公演した旭輝黄金鯱(あさひにかがやくきんのしゃちほこ) が御園座に来ました。
テレビでちらっと菊 五 郎の宙乗りや真っ白な身体に赤いふんどしだけで寒いなか本水で大活躍する菊 之 助を見せてもらったのでスルーするつもりがぴかちゅうさんも週末にいらしゃるということで観てきました。

9月、10月と忙しくぼやっとしていたら格安チケットは夜の部しか残ってなかったのです。これなら初めからぴかちゅうさんにチケットお願いしておけばよかったのに、馬鹿です。

どうも昼の部が人気らしい。やはり当地のお話ですし夜の早い名古屋ですから。

新聞観て当日券のある昨日駆けつけました。
名古屋開府記念で半額近いチケットも入手。まだ時間があるのでミリオン座でパンでも買おうかなと歩いていたら田 之 助さん らしき方が一人で東寿司の方に歩いて行かれました。

舞台は華やかな宇治茶園茶摘みの場からはじまり奇想天外なお話の展開、ちょっとバカバカしいようなところが歌舞伎にはあります。盗賊が実は殿様だったり(笑)

宇治茶園茶摘みの場の綺麗な若殿は傑作ドラマおシャシャのシャン!(2008年1月10日、NHK) - 坂本亀志郎役で初めて認識した尾上松也

歌舞伎は高尚と勘違いされてる方、(明治時代にそういうことになってしまい宙乗りも途絶えていたとか)歌舞伎は本来庶民から生まれ育ったものですからお気軽に。なんて私ごときが言うことではありませんが。

歌舞伎って役者がかっこよく見えるように作ってあるとこの舞台でつくずく感じました。


「通し狂言 旭輝黄金鯱」は、江戸時代に名古屋城の金鯱の鱗を大凧に乗って盗んだという伝説の大泥棒・柿木金助が主人公で、初世並木五瓶作「けいせい黄金乗c〔こがねのしゃちほこ〕」がです。
この「けいせい黄金乗c」は天明2(1784)年に初春狂言として初演され、翌年3月までのロングランをなるほどの大評判となったそうです。
この大ヒットで、柿木金助の名は一躍世間に広まったとのこと。

初世並木五瓶の原作では六幕二十三場という大作だったものを、今回の復活では四幕八場に再構成したそうです。

菊五郎の大凧の宙乗り 裏には「虎」の文字。
先月の南座の海老蔵の宙乗りは三階席最前列の宙乗り小屋近くで鑑賞。海老蔵が飛びこむところを間近で観られて嬉しかったです。

今回は二階席の上手で宙乗り小屋からはちょっと遠いのですが舞台全体が見渡せていい感じでした。
客席から舞台の上手まで斜めにワイヤーがのびています。
普通の宙乗りとは反対に下手から大凧に乗って2階から客席に向かって飛び、途中一階席すれすれまで一度降りて場内をわかせていました。

オペラ座の怪人のシャンデリアの落下 もそうですね。
日本では消防法であんまりすれすれには出来ないとか。

那古野城内の天守閣の屋根に着地して盗んだ金鯱とともに浮き上がる!

俳優祭で爆笑した(テレビ鑑賞)菊五郎の北千住観音が、金鯱観世音として登場。

EXILE,チューチュートレイン♪

菊五郎と名題下たちのサービス精神、素晴らしい。
北千手観音の時の派手さを観ているのでちょっと寂しいけど。

中国のあの千手観音、美人揃いですね。

怪しい金鯱観世音にお布施をはずむ庶民たち!後で取り返しに来ます(笑)
菊五郎さんも立派なお顔をよくあんな変な顔にメイク出来ますね。

團蔵が菊之助をからかうアドリブ。「水も滴るいい男と自惚れているから、海老に出し抜かれるのだ」歌舞伎には現代ネタ、お約束のアドリブがあります。


立役の小田家家臣・鳴海春吉を演じている菊ちゃん。

本水で鯱と格闘する「鯱つかみ」これは凄い、やはり生の迫力。
まず結構大きな滝が現れ前にプール。ここで格闘、水しぶきも盛大そう、前から三列にビニールが配られています。ここは特別席。

菊之助は一月にはしょうが湯飲んでますと言っていたけど今回も寒くなってきたので毎日大変でしょう。

鯱役の方も立派です。鯱は人間と作りものが交替して出てきます。
亀ちゃんの三国志の本水の活躍も目に焼きついてます。

シブイ役の 時蔵 さんもいいですね。

那古野城内大書院の場には見慣れた虎の絵、名古屋城は惜しくも空襲で焼失。
旧国宝・名古屋城本丸御殿は、桂離宮古書院と同じ1615年に創建された近世武家文化を象徴する正統的な書院建築だったそうです。御殿再建には反対もありましたが。

名古屋城の金鯱 [編集]
2005年日本国際博覧会で公開された金鯱
天守屋根に載る現在の金鯱(2009年4月)
焼失前の金網に覆われた金鯱

1612年(慶長17年)名古屋城天守が竣工した当時の金鯱は一対で慶長大判1940枚分、純金にして215.3kgの金が使用されたといわれている。高さは約2.74メートルあった。

しかし、鯱の鱗は、藩財政の悪化により、都合3回にわたって金板の改鋳を行って金純度を下げ続けた。そのため、最後には光沢が鈍ってしまい、これを隠すため金鯱の周りに金網を張り、カモフラージュした。この金網は、表向きは盗難防止(実際に何度か盗難にもあったこともある)や鳥避けのためとされ、戦災により焼失するまで取り付けられていた。1871年(明治4年)に政府に献納され、東京の宮内省に納められた。その後、雄鯱は国内の博覧会を巡り、雌鯱は1873年(明治6年)のウィーン万国博覧会に出品された。金鯱が大天守に戻ったのは1879年(明治12年)2月である。

徳川の金鯱の中では最も長く現存していたが、1945年(昭和20年)に名古屋大空襲で焼失している。 焼夷弾で焼失した金鯱の残骸は、戦後GHQに接収され、のち大蔵省に移ったが、1967年(昭和42年)に名古屋市に返還された。名古屋市は残骸から金を取り出し、名古屋市旗の冠頭と、金茶釜に加工して保存している。 現在のものは復元されたもので、復興天守建造のときに、日本国内に数えるほどしか残っていなかった鎚金師で大阪造幣局職員の手により復元製造された。一対に使用された金の重量は88kgである。
盗難事件 [編集]

金鯱の鱗の盗難事件は何度も発生している。江戸時代、大凧に乗って金鯱に近づこうとした柿木金助(かきのききんすけ)の伝説がある。明治以降では3回発生し、犯人はいずれも盗んだ鱗を鋳潰し売却しようとして逮捕されている。ただし、3回目の事件のときは下賜記念事業中だったため、当時の名古屋市長が引責辞任する事態となった。

wikiより






お隣りの女性二人組も綺麗綺麗と盛り上がってました。
高校生の団体も二階中央陣取ってましたが前に閉口した短大性よりお行儀がよかったです。

まだパンフレットも買っていないのでこの程度で又次回。

旭輝黄金鯱(あさひにかがやくきんのしゃちほこ)



並木五瓶=作「けいせい黄金乗c」より
尾上菊五郎=監修
国立劇場文芸課=補綴
通し狂言
旭輝黄金鯱(あさひにかがやくきんのしゃちほこ)四幕八場
  尾上菊五郎大凧宙乗りにて黄金の鯱盗り相勤め申し候
      国立劇場美術係=美術

  序 幕(京)  宇治茶園茶摘みの場
           宇治街道の場
  二幕目(尾張) 那古野城内大書院の場
           同 天守閣屋根上の場
  三幕目(美濃) 笠縫里柿木金助隠家の場
  大 詰(伊勢) 御師大黒戎太夫内の場
      (尾張) 木曽川の場
            鳴海潟の場


(出演)
尾 上 菊 五 郎
中 村 時  蔵
尾 上 松  緑
尾 上 菊 之 助
坂 東 亀 三 郎
坂 東 亀  寿
尾 上 松  也
中 村 萬 太 郎
市 川 男  寅
尾 上 右  近
中 村 梅  枝
片 岡 亀  蔵
河原崎 権 十 郎
市 村 萬 次 郎
市 川 團  蔵
坂 東 彦 三 郎 
澤 村 田 之 助 ほか

hitomi5235

猫と暮らしバラ栽培、ミュージカル、玉三郎観劇、一人旅にはまっています。