「毒に愛嬌あり」

 

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朝日新聞夕刊7月14日からの“ニッポン人・脈・記「毒に愛嬌あり」” は私好みのテーマでした。

前から本やテレビ、映画で知った方たちです。トップは
「過激にして愛嬌(あいきょう)あり」の編集方針を掲げ、風刺を武器に権力・権威を笑いのめした宮武外骨

 
その毒たるや痛快無比。例えば日露戦争開戦直後、当局の言論弾圧を皮肉り、伏せ字だらけの、こんな論説を載せた。

 「今の○○軍○○事○当○○局○○○者は○○○○つ○ま○ら○ぬ○○事までも秘密○○秘密○○○と○○○云(い)ふ○○て○○○○新聞に○○○書○か○ さぬ○○事に○して○○居るから○○○新聞屋○○は○○○○聴いた○○○事を○○○載せ○○○○られ○○得ず○○して○○丸々○○○づくし○の記事なども ○○○○多い……」

 伏せ字を外せばふつうの文章となる洒落(しゃれ)っ気。毒にこそ芸がいる。赤瀬川も松田も、そのセンスにしびれた。

入獄4回、罰金15回、発売禁止14回!



次にだったか、マイケル・ムーア監督が「生涯観た映画の中でも最高のドキュメンタリーだ」と語った「ゆきゆきて、神軍」原一男監督と小林プロデューサー のインタビューが掲載された。

この件ついて検索したら手塚治 がキネ旬に書いた記事が出てきました。父親が戦地で空腹になると誰がが「野豚」を捕まえて食べさせてくれたと言う、その野豚が何だったか、この映画を見てわかったと言う。

「ゆきゆきて、神軍」で有名になった神軍平等兵の奥崎謙三の伝記映画「神様の愛い奴」(1998年7月18日に公開)があるのもわかった、これは未見。












この歌もどこかで読んだ覚えがあるが今回歌った女性の名前を知ることが出来た。

にほんのひのまる
なだてあがい
かえらぬ
おがらむすこの ちであがい
山形県の農民詩人木村迪夫氏の祖母つゑさんが1946年5月末に突然歌い始めた歌だという。強烈な 反戦歌である。つゑさんの長男は 中国に出征していたが、知らせのあった1ヶ月前に現地で病死していたという。終戦は1945年だから その1年後に 捕虜として、どういう状況で亡くなったのかは書かれていない。その祖母は“3日3晩、泣き明かした後、ご詠歌の節回しで、心の奥底からわき出る言葉を即興的に歌い始めたのだ。それより前、次男が太平洋の孤島で戦死したことが伝えられた時、つゑは天皇陛下のため名誉の戦死をしたのだと赤飯を炊き、祝っている。”とあった。
木村迪夫氏が 詩集“わが8月15日”に “祖母のうた”という章をもうけ、祖母の独創になる歌を10編収録したという。

この詩集の写真を担当した内藤正敏氏は、つゑさんの“ひのまるのうた”を 死者を大切にする東北の風土が、この歌の背景にあると言っているという。
“インテリは反戦だとか、怨霊だとか頭で考えるから、こんな詩は生まれてこない。理屈や論理を超え、子を産む女が体で歌ったような怒り、毒がある。東北の婆が、ものの見事に国家の本質を突いている。”
木村迪夫氏と 顔なじみのノンフィクション作家・吉田司氏も 次のように評している、という。
“あの歌は個人の思いを超えている。日本人の息子の血で赤いばかりでなく、アジアの犠牲者2千万人の血で赤いとも、読み解くべきではないか。”
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「アメリカン・ショートヘアー 夢を背負った“着せ替え”ネコ」

 

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今日は急激に気温が下がり27度、久しぶりで姉妹で寝ています。
今朝のばらと猫

NHK いのちドラマチック「アメリカン・ショートヘアー 夢を背負った“着せ替え”ネコ」

ご覧になられましたか。アメショーはネズミを取るためにヨーロッパからアメリカに渡った猫というのは有名ですがなんと毛皮の色や模様が68ものパターンがあるとは。



この猫がアメショー!?ブルークラシックタビー、薄茶とクリーム、サバネコや三毛猫のようなアメショーもいます。

うちの猫は母猫が子猫の時ちょっと薄めのタビーだったのですが大人になったら普通になりました。

娘の一匹だけ白っぽくて画像1の左側に寝ている子です。この子はずっと白いまま。




シルバークラシックタビーのアメショーは額のM字形の模様、首と脚のネックレスと呼ばれる縞模様、肩の蝶の模様、お腹のターゲット、的のような模様が特徴です。

キャットショーが行われるようになった頃、中心はペルシャ猫のような外国の猫しかいなくて開拓時代から暮らした猫から改良をめざしアメショーを作りだしたと言うのです。




この猫はシェーテッドというアメショー。人気がなくなり少数派になってしまいました。


 


何回もご覧下さってる方はごめんなさい。子猫は四匹生まれましたが撮影時シャイな子猫は隠れていました。
この番組の女子アナの技巧的なヘアスタイルに目が釘ずけになりました。

ばら満開のロダン美術館

 

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朝日夕刊のシリーズ「毒に愛嬌あり」は宮武外骨他反骨のジャーナリストや軍国の母が紹介されていて興味深いです。
オルセーの続編の前にばらをご覧ください。


初めての海外旅行はギリシャがメインのツアーでパリはたった二泊でした。
ツアーで一緒だった自衛隊員の方がナポレオンの墓のあるアンヴァリッドに行くとおしゃったのが印象的でした。
私たちはベルサイユ、ルーブル、バスティーユでした。

これはロダン美術館からのぞむアンヴォアリッドのドーム。
本来はルイ14世が傷病兵を収容させるために建てられたもの。




この日は早くホテルを出過ぎて、オランジュリーもオープンまでに時間がありすぎるので初めてのロダン美術館へ。

近くのカフェでトマトどっさりのサラダを食べた話は前にしました。




彫刻と言えばロダンですが大人になってから映画などでカミーユクローデルの悲しい存在を知りました。


  
  



























ばらがメインで有名な彫刻がおろそかになってますね。

邸宅内のロダンの作品やゴッホの絵は次回。

この建物の最初の主は何とかつらやさん。18世紀の事。
(地球の歩き方97~98年版にあるのですが本当?)その後、ビロン元帥の手に渡った。


H:オテル・ビロン h??tel Biron

パリ市内のヴァレンヌ街77番地にあるオテル・ビロンは、ロダン晩年のアトリエ兼住居であり、現在ロダン美術館となっている建物の呼称である。1730年に建設されたロカイユ様式の美しい建物で、ルイ15世の元帥ビロン公爵に名前の由来がある。ロダンはパリ郊外のムードンに住み続けながら、リルケの勧めに従って、ここに居を構えた。この建物は、19世紀の初めにはイエズス聖心会の修道院と寄宿学校だったが、ロダンが入居した頃には、リルケのほか、コクトーやマティス、舞踊家イサドラ・ダンカンら芸術家が利用するアパルトマンになっていた19世紀に国有になり、芸術家のために解放されました。


美術館の建物は1908年から亡くなるまでの10年間、ロダンがアトリエとして使い、そして暮らした「ビロン邸」(Hotel Biron)である。

1911年にフランス政府がビロン邸を買い取ることとなったときに、この館を気に入っていたロダンが、自己の作品及びコレクションを国家に寄付するので、美術館として残して欲しいと提案した。ロダンの死後の1919年に開館した。



彫刻と言えばロダン。19世紀を代表する彫刻家、フランソワ・オーギュスト・ロダンの美術館はパリで見逃せない美術館のひとつです。数年前のリニューアルで生まれたガラス張りのモダンなエントランスが18世紀の貴族の館と美しいコントラストをなしています。
「考える人」「地獄の門」「カレーの市民」「接吻」など世界的に有名なロダンの作品はもちろんですが、弟子で恋人でもあったカミーユ・クローデルの作品にも注目したいところ。
彫刻家として以外のロダンの才能を垣間見ることができるのもこの美術館の魅力で、彼の絵画や版画、素描を見るにつけ、そのマルチな才能に驚かされます。さらに、芸術作品の収集家でもあったロダン。背景に日本の浮世絵が描かれていることで有名なゴッホの「タンギー爺さん」をはじめ、モネやルノワールの作品を見ることができるのも嬉しい驚きです。

オルセー美術館のアールヌーヴォ


オルセー美術館の設立20周年を記念して作られた家族の物語、人生と美術品両方が味わえるお薦め映画です。

映画の中でこのヌーヴォの部屋が出てきて、「皆素通りだ」といってましたが、絵画の展示の大混雑とは大違い、2,3人しか観ていませんでした。私には静かでいいのですが。

今回、パリで最初に訪れた美術館がオルセーです。今日本に印象派の名画がたくさん来ていますが私の目当てはアールヌーヴォ。
前回オルセーに行った時は印象派の絵ばかりだったと思います。
といっても2回しかオルセーには行ってませんが。絵の展示については又次回です。

1枚目はアールデコっぽいです。日本でも青鞜社の機関誌の表紙など影響受けてますね。




これは凄かったです。1900~01「シャルパンティエ 食堂のボワズリー」

約6.2×10.5メートルの食堂空間を移設、銀行家の邸宅の食堂の一部!









ナンシーのガレの所でも書きましたが彫刻や絵に比べ装飾は格下と考えられていました。


私の尊敬するイギリスのモリス らは美しいものを多くの人に届けたい、民主主義的な美の普及(「芸術新潮・生まれ変わるオルセー美術館へ」 より)を目指しました。
フランスではこのアーツ・アンド・クラフト運動から半世紀遅れて流行。

装飾芸術組合がルーブル宮の一角に資料館を借り受けたのが1897年

これが今のパリ装飾美術館 、行くといつも改装中でした,
2004年にモード美術館、この2010年にやっと装飾美術館に入れました。







1904 有名なガレの「海藻と貝殻のある手」 独創的!
ガラスを芸術にしたガレならではです。





















以下は引用です、もっと勉強して追記します。

オルセー美術館 (Mus醇Pe d'Orsay) は、フランスのパリにある、19世紀美術専門の美術館である。印象派の画家の作品が数多く収蔵されていることで有名。

オルセー美術館の建物はもともと1900年のパリ万国博覧会開催に合わせて、オルレアン鉄道によって建設されたオルセー駅の鉄道駅舎兼ホテルであった。設計者はヴィクトール・ラルー(1850年 - 1937年)である。もともとオルセー駅はオルレアンやフランス南西部へ向かう長距離列車のターミナルであり、地下に10線以上のホームを備えていた。狭くて不便だったことから、1939年に近距離列車専用駅となり、駅施設を大幅に縮小した。その後、この建物はさまざまな用途に用いられ、一時は取り壊しの話もあったが、1970年代からフランス政府によって保存活用策が検討されはじめ、19世紀美術を展示する美術館として生まれ変わることとなった。こうして1986年、オルセー美術館が開館した。美術館の中央ホールは地下ホームの吹き抜け構造をそのまま活用している。建物内部には鉄道駅であった面影が随所に残る。現在ではパリの観光名所としてすっかり定着した感がある。


ルイ・マジョレル
Louis Majorelle
(1859~1926)
フランスの家具デザイナー。
トゥールに生まれ、ナンシーで歿。パリ美術学校で絵画を学んだが、1879年ナンシーの父の家 具・陶芸工房を引継いで伝統的様式の家具制作に専念。ガレの成功に励まされて、1898年以降は植物の形態を母体
とする高雅で彫塑的なアール・ヌーヴォー家具を制作。1900年パリ万国博覧会に最良作、寝室「睡蓮」を発表した。

●ウージェーヌ・ヴァラン
Eugene Vallin(1856-1922)
ナンシー派の家具デザイナーです。

●アンリ・ヴァン・ド・ヴェルド
Henry van de Velde(1863-1957)
19世紀末から20世紀始めに活躍したベルギーの建築家。アール・ヌーヴォーからモダンデザインへの展開を促した人物。

●ビクトール・オルタ
Victor Horta(1861-1947)
ベ ルギーの建築家。アール・ヌーヴォー様式を装飾芸術から建築へ取り込んだ最初の建築家と言われる。

●エミール・ガレ
Emile Galle(1846-1904)
アール・ヌーヴォーを代表するフランスのガラス工芸家、陶器・家具のデザイナー、アート・ディレクター、企業経営者。

追記
フランス通信局こちらのサイトにシャンデリアなど画像があります。
オルセーが駅から美術館になる駅から美術館になる間にほんの僅かな時間だけホテルだったそうです。

猫とお掃除ロボットと薔薇



怖がりダブルとお掃除ロボット動画お掃除ロボットルンバは毎日大活躍してくれています。椅子やソファも移動して掃除してもらうので一瞬、部屋も広くなり、清々しく感じます。




リボンママともう一匹、だれかな。


  


姉妹のブランとダブル
今年は猫もエアコンが好きみたいです。



今度はブランが洗濯かごの置場にはまってます。ぐったり






平谷峠・茶臼山温泉郷・月瀬の大杉



 

昨年はすごしやすかった夏ですが今年は厳しいですね。
昨日行った温泉付近のガソリンスタンドの方は「扇風機は年に10日ぐらいしか使わない、どこの家もエアコンは内、今年の暑さはかつてない酷さ」と。この峠の風景だけで癒されます。

平谷峠(ひらやとうげ)は、長野県下伊那郡平谷村から同郡売木村へ通じる峠。標高1,160m。

峠を通る国道418号は売木村から平谷村へ抜ける唯一の道路であり、この峠越えが下伊那郡南部から中京方面へと抜ける主要道。 売木側の展望が良く、峠近くには展望広場があり南アルプスの山々が眺望できる。
ウィキペディアより

以前足助の宗源寺のエビネを観に行きましたが、そのもっと先です。


どんぐりの里(数年前にお風呂に来た時よりお店が増えていました。おそばも手打ち、古代米のちらしやおこわ、野菜やパンも人気)で休憩してから
平谷峠を経て天竜奥三河国定公園茶臼山温泉郷 大露天ふろと間欠泉のお宿
塩吹館へ。

夫は温泉大好き人間です。日帰り温泉、どのくらい行ったでしょうか、私は忘れてしまうのでメモです。

カンカン照りの露天風呂、あんまり広くてここで裸になっていていいのという感じ。周りは山です。

800円。誰も入ってないので写真撮りました。
出るときに母娘さんたちが入ってきました。


 


 



 


 
間欠泉、見えますか、温泉が一時間に一度吹きあげます。


 
 
長野県下伊那郡根羽村月瀬日影平地籍の月瀬の大杉は、目通り1.5メートルの高さで幹廻り約14メートル、樹高は40メートルに達する巨木であり、全国的にも有数なものであるので1944年11月国の天然記念物として指定された。樹齢は文部省調査による指定当時の1800有余年を採用している。

 平成元年、環境庁の巨木調査により、長野県第1位の巨木であることが確認された。
昔から虫歯に病む者が祈願すると、霊験が著しく、また大事変の起こるときは前兆として大枝が折れると語り継がれている。
旧月瀬神社のご神木として古来から尊崇され、地区民の手で保護されてきた。
弘化元年(1844年)の江戸城本丸消失後の復興用材として、また明治41年(1908年)村内神社統合の後、大杉売却の決議がなされたが、月瀬全住民の団結の力によって、保存され現在に至っている。


 


 

又平谷峠の画像です。


 

 

メッスのコクトーのステンドグラス・ドイツ人の門



 
セーユ川 にまたがるドイツ人の門、いかにもドイツという感じですがフランスのメッス。
ドイツに近いメッス。攻防の歴史があるそうです。


 


 



 

ドイツ人の門からサンマクシマン教会へは路地に入って…向こうから犬を連れた奥さんが来て何かに話かけてると思ったら猫ちゃんでした。私も思わず話しかけると金網越しに猫がスリスリ、その女性とほほ笑みあいました。

誰もいない小さなサンマクシマン教会


 


 


 


 

サンマクシマン教会外観


 

ポンピドゥー美術館の分館がこのメッス駅の近くにあります。
リサイクル素材使用。
ハノーファ万博、日本館を手がけた板茂とジャン・ド・ガスティーヌの設計。

 


 



 

 
ホテル外観はヌーヴォですが室内は現代的。ドイツのホテルの枕は立ててまん中をへこまして並べ方が特徴ありますがここはフランスと中間の感じ。
シャワー室しかなくて残念。日本人ではない団体さんも泊まるホテルで一杯のようだったが街は大聖堂以外静かでした。

ドリンクやお菓子付き、朝食付きなのでリンゴ貰いましたが駅やスーパーの安い小さなリンゴのほうが美味しかった。


以下はサンテティエンヌ大聖堂の追加写真です。


 


 



 

シャガールとコクトーのステンドグラスに会えるメッス



  

ナンシーから急行で40分、パリ東駅からTGVで一時間半
ロレーヌ地方の中心メッスはローマ~ランスに抜ける古くからの要衝の地。

フランス政府観光局公式サイト
3000年もの古い歴史をもつ町メッス。豊かな商業都市であり、交互にドイツとフランスに併合された過去を持つ。神聖ローマ帝国領、また、中世期にはヨーロッパの経済の拠点として栄える。「光と庭園の街」として知られ、かつての繁栄・併合の歴史を物語るかのように、今日も市内には様々な時代の、他国からのさまざまな影響を受けた建物が混在して残る。

この画像はサンテティエンヌ大聖堂からジャン・コクトーのステンドグラスがあるサン・マクシマン教会へ行く途中にあった風景。でもそれが…


  

モーゼル川の中州にある20世紀初頭の建物、タンプル・ヌフ

サン・マクシマン教会聞いても後から考えると反対方向教えてくれたり。
私の発音も悪いけれど、ちゃんとホテルでもらった現地の地図見せてもダメな時はダメ。知らないと言いたくないとか?

地球の歩き方には地図がのっていない。

でもこの川の風景は99年にドイツ古城巡りしたので懐かしい。
オペラ劇場の近くで。スワンも泳いでました。



  


 
 



白人の若い青年が上半身裸で何か叫んでいたのはオペラ座の左隣のこの建物の前。
この赤紫の門扉が素敵で扉の中に入ってみた画建物にはカギがかかり何かわからなかった。

引き返してここを取ったら先ほどの青年は警官に職務質問受けていた。
他の警官に聞いてもはっきりしなくて…


 


 


 

 サンテティエンヌ大聖堂

メッスのほぼ中心、モーゼル川の中洲手前にそびえるゴシック建築の大聖堂。身廊の高さは42メートル。建設に1220年~1520年までの300年間を費やしたとされ、メッスの多くの建築物に見られるはちみつ色のジョーモン石で造られている。聖堂内部、総面積6500㎡に及ぶステンドグラスは圧巻で、13~20世紀までの長きに渡り数々の巨匠によって徐々に形作られてきたもの。特に20世紀にシャガールが手がけた部分は見逃せない。


 

 

 

 

続きます。
 

ねこ展・都はるみ・大川・丹羽貞仁



  

三岸節子展、岩合光昭・ねこ展も行ってきました♪
岩合さんサインしてました。

岩合さんの猫はいいですね。前にパンダ展に行きました。


輸入食器の売り場でマイセン、ラリック、リヤドロなどブランド猫が勢ぞろい、マイセンは35万円ぐらいだったか、小さなネコでも迫力あります。

三岸節子は一宮の三岸節子美術館でも二回見た死と思いましたがチケット頂いたので、初めて見る絵もあり、彼女の苦悩の文生姜よかったです。
最後に岡田三郎助の絵に描かれている江戸時代の着物の展示もありました。
ばらと檜扇(ひおうぎ)の模様の着物も!
松坂屋美術館はこのデパートが所有するアンティークな着物などの展示も楽しみです。



今日のお昼のトーク番組、徹子の部屋が石丸 幹二 、NHKが 橋本さとし 、どうしてこうかぶるんでしょう。
お二人とも、ミュージカルスターなのです。




  

昨日、なんと都はるみのチケット頂いて観てきました。

検索すると大川橋蔵の二男さん・丹羽貞仁が出ているでははありませんか。

初めて彼の舞台を拝見、検索すると平幹二朗のリア王
演歌苦手ですが母は好きなので無料で親孝行?

昨年爆笑コロッケ物まね大全集もチケット頂いて、あまりのうまさにうなりました。

都はるみの舞台はお芝居が「浪花恋しぐれ」上方落語の桂春団治の女房役でした。

桂春団治は沢田研二も演じていて録画はしたのですが未見。

今回は大衆演劇女形役の 大川良太郎
が演じています。
芸のためには女房も泣かすという昔の芸人さん、、今はあんまり通用しませんけれど。元気がよくて今、絶頂の役者さんなのでしょう。

春団治の姉は三林京子、はるみさんも言ってましたがさすがの貫禄。
教えてもらっているそうです。

はるみさんは暑さのためか、元気なさそうで最後まで演じて2部は歌えるのかと不安になったくらいです。最近紫綬褒章貰ったんですね。

山田スミ子、高田次郎共演

丹羽貞仁 は長身でスリム。仲居のおはま(都はるみ)と結婚したいお坊ちゃん役。

二部のオープニングは、おそろいの浴衣で勢ぞろいで( 山田スミ子さんとイケメンダンサーズ?)

はるみさんの着物は最初が白地に黒や黄色、二枚目が青紫にピンク、胡蝶蘭の柄の振袖、季節がらさわやかで綺麗~♪大正ロマン風でしょうか。
小柄で細いのでとてもお似合いです。

この年でも振りそでが着れるのは嬉しいと。

浪花恋しぐれ      
アンコ椿は恋の花
涙の連絡船 市川昭介さんがうならなくていいよといったのはこの歌?
ふたりの大阪    バンドの方と唄いました、うまい
千年の古都     

大川良太郎の人形ぶりからスピーディな踊り、客席がわきました。

おんなの海峡  衣装替え
大阪しぐれ    
北の宿から  編み物出来ないのにと、はるみさん。
あなたの歌は嫌いだけれど、この歌はいいという手紙が来たそうです。
この歌の事だったかな?

夫婦坂
小さな春 新曲
好きになった人 はるみさんの歌は特徴のある振付ですね。

一面のひまわり畑の前に川があって遥か彼方に美空ひばりさんがいると言うような話もされていました。

私は演歌に疎いのでファンの方ごめんなさい。

島田歌穂、鈴木ほのかなどミュージカルスターの唄う演歌、パロディで楽しいです。

ミュージカル劇団『フォーリーズ』もよい舞台見せてくれました、なかなか見る機会がなくて残念。ミュージカルカンパニー イッツフォーリーズは、1977年に作曲家いずみたくが創立した日本のミュージカル劇団、1974年に、まだ開場したばかりの西武劇場で、西村晃、有島一郎、前田美波里ら、ベテラン俳優によって初演されたミュージカル『おれたちは天使じゃない』は素晴らしかった。

最近、国防義務のため軍隊に行ったイ・ジュンギが、凛々しくなった姿で舞台に立つ。軍服務中の芸能兵士イ・ジュンギとチュ・ジフンが、6.25 60周年を迎え制作されるミュージカル『生命の航海』(制作(社)韓国ミュージカル協会)に揃ってキャスティングされた。

予定外のナンシーからメッスへ



  

ナンシーでの目的が果たせたのでこの日のうちに(2010.6.3)ランスへ行けると思ったのですが…
ドイツを列車で旅した時はトーマスクックまで買いこんで万端整えた?のですが、今回はネットや本で調べたからと安易に考えてしまったのです。

やはりフランスはパリ中心、パリから放射線上の都市は簡単に行けるけれど地方都市間、横から横の移動は私にはむずかしかったのです。

乗り換えやらで(ナンシー・ランス間は早朝や夜しかないみたい。列車からどんどん人がいなくる恐怖、間違えて地方都市間を往復?)

ランスにつくのは10時すぎとわかりあきらめてメッスの駅に降りたのは八時近く。
まあ、9時頃までは明るいから助かります。

  


駅前のホテルは満室でちょっと歩いてこのアールヌーボ建築のホテルに。

 

 

  


  

○○駅構内の本屋さん
 

 
 



ホテルから散歩しながらレストランへ。暖かいチーズがのったサラダ



  
 

ホテル付近は両側にヌヌーヴォー建築。まん中に散歩ロード、
その先に噴水がありました。

イメージ 9
  







 



 






この街はドイツに近い雰囲気、懐かしい
モーゼル川が流れている。フランス、ルクセンブルクおよびドイツを流れる全長544キロの国際河川
フランス東北部のボージュ山地に源を発し、ナンシー、メスなどを北へ流れる。ルクセンブルクで北東に転じ、ドイツ国境を流れたのち、ドイツのラインラント=プファルツ州を横切り、コブレンツでライン川に合流する。ライン川との合流点は「ドイチェス・エック(Deutsches Eck)と称され、コブレンツの観光名所の一つともなっている。



バスに乗りこの風景を観たのは90年代,コブレンツに行った時四月だったのに小雪ちらついてました。、ホテルは駅前。部屋は小さいのに二階建て、下にシャワー室、階段登ってベットでした。

フランス国内においては、地下資源の豊富なロレーヌ地方を流れるため、その沿岸に工業都市が発展した。ドイツ国内においては、ヨーロッパ有数のワイン生産地域として知られ、モーゼル・ワインは世界各国へと輸出されている。

シャガールのステンドグラス3点(サンテティエンヌ教会)
ジャン・コクトーのステンドグラス(サンマクシマン教会)
は翌日に見学しました。
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