BS特集「現場報告 アメリカ海兵隊~変わる沖縄駐留の意味~」



  
ヘリコプターに海兵隊がつりさげられています。
BS特集「現場報告 アメリカ海兵隊~変わる沖縄駐留の意味~」


  

観劇レビュー&旅行記動画あります。

妹之山商店街
動画あり。引用です。

沖縄の海兵隊が1万6千人というのは定数であり、イラク、アフガンに行っている部隊もあるし、訓練で海外に行っている部隊もあり、戦闘部隊の兵士の実数は、800~1000人で、その他は司令部の要員や支援部隊の隊員です。ですから、沖縄の海兵隊には抑止力など全くありません。

そもそも、在日米軍の第一の任務は、日本にかつての東條内閣のような政権ができた場合に、その政権を叩き潰すことで、第二がアジアでの有事の際に、現地の米国人を救出することです。

第一の任務については、1971年~72年の米中和解の時に、キッシンジャーが周恩来と会談で日本について「日米安保条約に基づく在日米軍の駐留が日本の軍国主義回帰を抑えており、同盟関係を解消すれば日本は手に負えない行動を取り始める」と「瓶の蓋」論を語ったことでもわかりますし、この時に中国も安保条約を支持した理由はキッシンジャーの「瓶の蓋」論でした。アメリカは、東南アジアの政府にも度々、在日米軍が日本の「暴走」を押さえていると説明し、日本政府も国際社会の信頼を得るために黙認してきました。

ですから、在日米軍が日本の「暴走」を押さえるために存在していることを知らないのは日本国民ぐらいです。当然ですが、右翼と自民党は「瓶の蓋」論を知っているはずですから、安保障条約を支持する右翼と自民党は、昔の言葉で言えば売国奴そのものです。

敗戦してから60年以上も経過しているのに、日本は自国政府を打倒する可能性のある在日米軍に金を払って駐留させているので、日本にも政府らしい存在がありますが、実態はアメリカの州政府のようなものなので、結局は辺野古になりました。

色々とソ連の脅威が叫ばれましたが、ソ連には日本侵略計画などありませんでした。また、中国が台湾を占領するには最終的には陸軍を上陸させなければならず、そのためには最新式の大型揚陸艦が50~60隻も必要ですが、現在の中国には最新式の大型揚陸艦が1隻しかないので、現在の中国には台湾を占領する軍事力さえありません。

最近台湾政府が、たとえ台湾有事となっても米国に支援を求めないと言明したのは、現在の中国には台湾を占領する軍事力さえないことを台湾政府は知っているからですで、台湾でも不可能ですから日本も不可能です。

自民党は日本が国際社会に復帰するための代償として安保障条約を結んだので、現在では安保障条約の必要性がゼロになったのは明白です。安保障条約が必要と思っている国民が多いのは、長年の洗脳宣伝の影響であり、現在では、むしろこのような軍事条約と在日米軍の存在が緊張を高めています。

基地のすぐ近くで暮らさなければならない沖縄の方たち。

まだ子供のような海兵隊員、女性兵士もいます。
学費や保険のために志願すると言うことも聞いています。
でもベトナム戦争、イラク戦争に参戦しで大学も行けずホームレスになっている元兵士が多いこともしりました。
被爆も軍隊内での性暴力も。
幼稚園教諭になりたいという女性がなぜ軍隊に…

尾張温泉と相撲



  

昨夜の龍馬伝も白戸次郎も面白いのですが、その前に.
この画像は温泉の帰りに松と空が綺麗だったので。右の方に名古屋駅のツインタワーが見えます。






先日演芸場もある尾張温泉に久しぶりに行ってきました。
大昔、温泉パレス、長島温泉などで歌謡ショーや演芸を観た記憶が…

尾張温泉は大衆演劇の公演がありますがいつも終わった後に行きます。
600円と安くなるからです。空いていました。

源泉かけながし。加水無。豊富なお湯、露天もあります。
内部は岩風呂、庭園風で川のようになっています。

温泉100選に入っているようです。

この付近に相撲部屋があるようです。
子供の幼稚園にも名古屋場所になると二子山部屋の宿舎が来ていて、朝稽古見に行きました。

祖父や母は相撲好きです。
母は贔屓のお相撲さんが負けると落ち込んで家中、まっくらに(苦笑)

学生時代、友人があるお相撲さんのファンでファンレター送ったら、チケットを頂いて、二人で観に行きました。

さなえさんも記事にしていますがパチンコや競馬、競艇などかけごとする人は多いし、興行の世界は美空ひばりの事件でもわかるように、暴力団とは関係が深い。
琴光喜は生贄?
さなえさんの記事の一部を引用させてもらいます。
国自体が賭博をやっているではないか。その最たるものは年金だ。

生き残れば掛け金以上のものが手に入る。死ねば、独身で、子供が成人していれば、いくら25年以上かけていようと、20万程度の金を子供が手にするだけで国庫に没収される。大バクチだ。

大嶽親方は、職を失い、家族を失い、金を失い、名誉を失い、中学卒後知っていた唯一の世界、彼の持っているものすべてを失った。琴光喜も職も、将来の夢も、名誉も、もちろん金も失った。

刑法上の賭博罪は50万円以下の罰金刑でしかない。禁固刑もない。彼らはどっぷりと賭博に浸かっていた馬鹿だ。馬鹿ではあるがそこまでの制裁を受けるほど悪いのか?50万以下の罰金又は科料という刑罰に対し、制裁がバランスを欠いている。[追記:ついでだが科料とはWeblio辞書によると、刑法の定める刑罰の一。軽微な犯罪に科す財産刑。千円以上一万円未満。罰金より軽い] そんな軽微な罪で追放とは。

温泉で背中に赤と黄色い鯉の刺青の女性が2人の幼児と一緒に入浴してました。確か温泉には刺青お断りと書いてあると思いますが。
取り返しがつかないのではないのでしょうか。

寺島しのぶの「赤目四十八瀧心中未遂」 思い出しました。映画や演劇以外にこれほどの刺青を生で観たのは初めて。びっくり。

追記
相撲界の特に暴力、女性蔑視は勿論許しがたいことです。
あのリンチ事件のようなことは他にもあるのに、臭いものにふたなんでしょうか。八百長も昔から聞いています。ちゃんと捜査してほしい。
中学の土俵でも女は乗るなと言われるそうです。
女相撲もあったそうですが。周防監督の「しこふんじゃった」 は感動的な映画でした。
相撲は国技ということにしたため甘やかされていたのでしょう。
私はかけごとも、相撲も嫌いなのです。

京都競馬場でバイトはしました。

ライレローズその3



  

日本一のバラ園のある可児市や、戦時中、国家の命令に背いてユダヤ人らを救った外交官、杉原 千畝(すぎはら ちうね・センポスギハラ)さんの八百津などで大変な災害があったのに、すいません。
阪神・淡路大震災の時も生花が喜ばれたそうです。

画像だけでも…お見舞い申し上げます。

ライレローズの入り口も中々よかったのでご覧ください。
ナンシーから直接ランスに行くことに失敗し予想外に美しいメッスに泊まった話は次回に。



 



 



ライレローズはこの様な緑の公園の一角でフランスバガテルバラ園やロンドンのリージェントパーク内クィーンメアリーばら園(人の顔ほどの薔薇があってびっくり)のように広大ではないので体力はあまり要りません
(^-^;) 






 


 

















ライレローズ行き帰りのバスからの風景、スダレが使用されています。




ミュージカルSEMPO 杉原 千畝物語
吉川晃司主演 中島みゆき作詞作曲 Peter Yarin作曲

杉原 千畝記念館出来た頃に見学に行きました。



イギリスのリーズ城のバラ園も綺麗ですが桜にも感動しました。

圧巻のドーム作品、ナンシー美術館2



  


アンティークに惹かれた頃最初に魅了されたのがランプやガラス工芸。

ガレの次に有名?なドームの風景模様のクリスタルは日本のデパートや骨董店でよく見かけますからご存知の方も多いでしょう。

ここナンシー美術館の地下はちょっと暗いのですが天井から照明がさして、300点ものガラスがズラリ。これは圧巻。
私の他には一人ぐらいしか見学していませんでした。
ドーム兄弟
ドーム兄弟(Daum Fr醇Qres)は、19世紀 - 20世紀のフランスのガラス工芸家。兄オーギュスト(Auguste Daum,1853-1909)と弟アントナン(Antonin Daum,1864-1930)の2人。ドーム兄弟は、フランス、ロレーヌ地方のビッチの出身である。普仏戦争終了後の1872年、ドーム家はプロイセンの占領を避けてナンシーへ移住


1878年、ドーム兄弟はガレの成功を目にしてガラス工房を始め、次々と新技法を開発しました。

1893年のシカゴ万博で注目を集め、1900年パリ万博においては、ガラス部門で大賞を獲得し、ガレと比肩する成功を収めました。

ドームの工房には、画家のアンリ・ベルジュ、ステンドグラス作家ジャック・グリューベル、金工家エドガール・ブラント、木工家ルイ・マジョレル、そしてパート・ド・ヴェール作家のアマルリック・ワルターなどが参加し、共同製作を行いました。

ジャック・グリュベール(1870~1933)(1枚目の画像、クレマチスの花器)アルザス生まれ。普仏戦争のためナンシーに疎開。後にパリで著名画家ギュスターヴ・モローに師事した。1894年、ナンシーに戻りドーム工場でガラス装飾に従事。音楽家ワーグナーの楽劇に影響を受け製品のモチーフと …


  

98~99年「地球の歩き方」では、ナンシー派美術館の有名なガレデザインの家具をナンシー美術館としてあるのにナンシー美術館の説明はない。


  



  



  


左、ナンシー駅前のブラッスリーエクセルシオール 
1911年創業の老舗ブラッスリー。

右、載せきれなかったナンシー派美術館のバラ




ナンシー派美術館の建物と庭のアーチ

ルンバが来て猫たちは~


最初に昼寝から起きてきたのは娘のブラン


  


ブランの視線の先には…

ルンバと猫の動画
ボタン押したらすぐ動きだしたのでびっくり、充電しなくても。

パパ猫は動くブラシにちょっかい出しました。

猫が来て毎日掃除機かける羽目になりました。

酷使された自走式の軽いパナソニの掃除機は2回目のダウン.

手元に小さなモーターがあるのですがが夫が言うにはこれでは無理だと…

紫近いピンクで可愛い。その色しか在庫がなかったので格安にしてくれました。
五年保証なので前回モーターが壊れた時は無償、今回もまだ大丈夫でしょう。

それ以前はコード-レスの掃除機を使っていました。
期待してかったら凄く重くて大きい。しかもコードレスにするとあんまり、綺麗にならない、コードも収納されない。置く場所も取りました。


 

 


ブランはこの場所が好き

甘ったれダブルは怖がりでルンバ550に恐れをなし、ご飯の時も中々出てきませんでした。


 


 


 
はまってます。


ルンバは到底買えないと思ったのですがネットで格安だったのです。

今たったひとつの掃除機が修理中でないのでネットでルンバを検索。
モニターも売り切れでした。

誰かさんは40万近い掃除機(重くて大きくて使い物にならない、これなら人を頼んだ方がましです、ほとんど騙されたのでしょう)の他、3つあります。

最初の会社は対応が遅く、連絡もないのでメールしたら

支払いが完了していない、ここへメールせよと返事が来ました。
そこを押したら、その会社でなく顧客に行ったらしく、その方が電話くれました。
その方はやはりこの会社はおかしいとやめて別の所に、私もそうしましたらすぐアメリカから届きました。

親切なその女性はすでに使用していて(頂いたものだそうです)、今回プレゼント用にと注文されました。

おしゃる通り快適、すぐ猫の毛とホコリで一杯になりました。

夏の掃除は過酷です。狭い我が家物を動かしたり大きなごみを拾いながらでも助かります。

ガステーブルも年代物、かえる予定です、ああ、物入り(泣)

ナンシー美術館見学


やっと写真OKのナンシー美術館へ来ました。
前回のスタニスラス広場に面しています。

額が写せるのが嬉しいですね。フジタの額などお手製の額があるのですが絵ハガキになると、額が写ってないので残念です。



額もアールヌーヴォ、大変大きな作品で天井が見えます、
作者ご存知の方は教えてください。
美術館に入るとろくに画家の名前も目に入りません。日本語でないので(恥)




14世紀から21世紀のヨーロッパ絵画を幅広く所蔵。火曜休み
ナンシー派美術館は月・火曜休み。
昼休みもあるランス美術館でちょうど12時に来た人がいました。
こうなるとがっくりきますから確認必要ですね。

まだ美術館はましですがW・モリスのケルムスコットマナーは水曜日しかオープンしていません。
バラの仕立て方が素敵すぎる庭です。

Miyokoさんによると、最近まで修復工事していて美術館も覆いがあったそうです。


  


このガラスの向こう上の絵が見えます。



言わなくてもわかる藤田嗣治

 


この色合いもどこかで観たような…



猫好きにはお馴染みの風景




Juiles Voirin 1833-1900 ナンシーの画家のようです。






 





外でランチの方が多かったせいか、美術館はガラガラでした。

ドームのガラスは次回に。

ナンシー・ペピニエール公園のばら






ナンシー派美術館の帰りは付近にバス停があるのがわかりバスで又駅まで。
先にこのスタニスラス広場へ行き、インフォメーションでシティパスナンシーカルチャーを買えばよかったのですが。
バスの中でそのパスを買えないかと聞いたらないと言ってバス代はおまけしてくれました。

ポーランドの国王スタニスラス・レスチンスキーは18世紀ロシアに追われてフランスに亡命、ロレーヌ地方を譲り受けて統治。
ナンシー生まれのエレがこの広場を設計。




駅からタクシーでペピニエール公園へ、きっと薔薇園もあるだろうと思ったのです。こういうピカピカで有名なスタニスラス広場よりもう公園や個人の庭の方がよくなっています。

夏のライトアップで綺麗でしょう。でも高そうなここの広場には泊まれませんでした。

























ナンシーのお土産、パリ東駅でも売っていましたが小さいのに重くて高いのでやめました(苦笑)



続々ナンシー派美術館・庭






ブラッスリーエクセルシオール朝食後、住宅街を歩いて、ナンシー派美術館へ。以前はドームの工場もあったそうですが今は親会社のガラス工場に移されたそうです。ドームは今もデパートで販売されていますね。



ナンシー美術館の地下にはドームの作品がズラリ並んでいます。その写真は撮ることが出来ました。







ナンシー派美術館に入ると見学の子供たちが庭にいました。またもっと小さな人たちのグループも。

ランスの美術館でもみかけた高校生ぐらいのグループにも又藤田の礼拝堂で遭遇。小さいときから素晴らしい美術品に触れているのに、パリや郊外列車の汚さは何でしょう、すさんでるとしか思えません。




この美術館の建物(1870年頃のもの)と庭は当時デパートのオーナーであったコルバンの所有で、1901頃にはもっと広い庭だったそうです。

外からはあまりこの建物が見えず地味なのですが入ると世界が変わります。

↓のサイトはアンティーク屋さんのようですが、アールヌーヴォの作家の説明があります。
マジョレル



パリのピエールカルダンのアールヌーヴォー美術館も素敵らしいです。
女性雑誌に載っていて行きたかったけど無理でした。







庭のこの建物、水族館とは!
グリーン系のステンドグラスの写真に自分が写ってしまいましたのでカットしました。


















借り物写真、室内のステンド、女性が肩に黒猫を乗せています。



続ナンシー派美術館とガレ



  


皆さまはどのバラ文様がお好きでしょうか、最後にもバラ文様があります。

一枚目は、1902年頃のエミール・ガレ  の有名な「フランスのバラ」
これは北澤美術館で観ました。

二枚目は1909年頃ドーム兄弟の「薔薇文香水瓶」可憐な薔薇でガレ以上にジャポニズムを代表していると言われています。


  
 

三枚目はガブリエル・ルソーの「薔薇文卓上ランプ」1920年頃、初期のアールデコ(arts d coratifs の略。装飾美術の意。それ以前のアール-ヌーボーが曲線を主とするのに対し、現代都市生活に適した実用的で単純・直線的なデザイン)

四枚目は1900年頃、ミュラー兄弟の「バラとアジサイ文ランプ」

この4枚は前にもご紹介した「ボタニカルアートと花の名画 バラの美術館」から。この本はアンティーク屋さんのレストランにおいてあり、内容も素晴らしいので取り寄せました。

百合、蘭、果物の美術館とシリーズになっています。

「ユリの美術館」もほしかったのですが手に入らないの出図書館にリクエストしたら三重県の図書館から借りてくれました。

この本は、中世、ルネサンス、ロココ、ボタニカルアート、クリムト、ゴッホ、ロセッティなどのバラの名画も載っています。




  
 
光の魔術師エミール・ガレ と北海道近代美術館の鯉文花器
ガレが尊敬していた北斎の鯉の図案は色々な作家が引用している。

北斎は世界1999年に米誌「ライフ」が選定した『この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人』に入ってますね。

ガレが三歳まで北斎は存命していました。

ガレはそのほかに ユゴー を愛読し、ウィリアム・モリス にも共鳴していて、私の好きな人物がこのようにつながっているのを知るのは嬉しいことです。





ガレのバラは咲き誇る薔薇ではなく蕾やしおれていく薔薇。
はかない自然の命を愛しいとおしんだガレ。

ガレはアール・ヌーヴォーを代表するフランスのガラス工芸家、陶器・家具のデザイナー、アートディレクター、企業経営者。

アール・ヌーヴォー(フランス語: Art Nouveau)は、19世紀末から20 世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に開花した国際的な美術運動。「新しい芸術」を意味する。花や植物などの有機的なモチーフや自由曲線の組み合わせによる従来の様式に囚われない装飾性や、鉄やガラスといった当時の新素材の利用…


  

19才のガレの写真。ドイツ、ワイマールに留学したガレ!
リストやワーグナーと知り合い、生涯、ワーグナーの音楽に親しむ。
(ワーグナーの長いオペラに私も一時はまったのが自分でも驚きだった。)

ガレの住むナンシーにフランス語を話す日本人が留学、農商務省の林業技師、高島得三である。彼はのちに画家となり北海と称する。彼はガレとも盛んに交流。

「工芸美術の職人に身分階級はないのです。」
工芸が美術展の対象から除外されてきたことに対して、その認識をあらためさせること、又宝飾や陶器がよくて、ガラス工芸が認められないと言う従来のしきたりに対して、ガレは辛抱強く、その非なることを説明し、解説した。
世の不正、邪悪なるものに対して憤ったガレ



 

ナンシー派美術館にあるガレが死の直前に完成させたベット「黎明と黄昏」
黄昏にはかなく落下する蝶の群れ、気味が悪いという方もいますがこの実物の迫力、これを見るだけでも行った価値があります。

ナンシー派美術館は写真が撮れません。ボケていてすいません。
建物外観や庭の写真はこちら。
憧れのナンシー派美術館

庭の写真はまだ続きます。

ガレの死後、アール・ヌーヴォーはあっという間にすたれてしまいました。
勿論今は大人気です。日本に沢山ありますね。


 

アール・ヌーヴォー調の室内、ナンシー派美術館、ピアノの外装はガレ


  
 

左、ガレの最高傑作と言われる「オルフェウスとエウリディケ」
二人の別離はフランスからドイツに割譲されたアルザスとロレーヌ地方の寓意になっている?
杯、1889年、高さ26センチ、パリ装飾美術館蔵です。
「もう振り向かないで/振り向けば/私を再びそして永遠に、失うでしょう」の銘が刻まれています。

カウンターテナー・ヨッヘン・コワルスキー主演の「オルフェウスとエウリディケ」も素敵です。LD!鑑賞  衣装は現代的。

米良美一とヨッヘン・コワルスキーの共演も楽しい舞台でした。

光の魔術師 鈴木潔

エミール・ガレ 人と作品 由水常雄などを参考にしました。

豪華絢爛、揚巻の衣装~♪


今朝、初めて蝉の鳴き声聞きました。先日は雷雨、最近昼間は晴れていて助かりました。
ガレとナンシー派美術館の続編を書いていますが改めてガレの素晴らしさがわかり、手間取っています。今まで買った本もちゃんと読んでいなかった(>.<



 
 

揚巻の衣装に関心持ってくださりありがとうございます!
前回の記事歌舞伎座さよなら公演玉三郎の揚巻

ちょうど演劇界がこの揚巻の衣装の特集を組んでいますので、ご覧ください。

演劇界表紙■『助六由縁江戸桜』花川戸助六  市川海老蔵(たまらない美しさ、粋ですねえ)
   撮影■篠山紀信
   題字■伏木壽亭

巻頭大特集 女形の衣裳

女形衣裳図鑑――金森和子
江戸の絢爛を体現する揚巻の世界
  福助が語る衣裳にこめる思い
  揚巻を着付ける

ドラマゲゲゲの女房の水木さんのお父さんが歌舞伎ファン。
今の海老蔵はおじい様にそっくりと評判ですね。
11代目団十郎(海老様)は1965年に亡くなっていますからその直前の舞台をご覧になったのでしょうか。


 


 



 


 
 

五節句を表しています。
このウン十キロの衣装にカツラ、結婚式の鬘だけで首がめり込んだ私には想像もつかない玉三郎丈の鍛練です。立ち役(男性の主役)に比べたらなんという負担でしょう。
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